自転車の跳ね

 

 自転車のタイヤから跳ねる水が図のように描かれている。当たり前の風景に見える。
 しかし、これに関してちょっとしつこく考えてみよう。
 いま、もし自転車がスタンドで立てられ、タイヤが浮いた状態で回されているのなら、跳ねは下図のようにタイヤから離れた瞬間にそれぞれタイヤの円の接線方向へ飛んで行くことは明らかである。
 

 しかし走っている自転車の場合はタイヤ自体も前方へ走りつつあるのだから、そのタイヤから飛ぶ跳ねにも前方へ進む力が加わっているのではないか。

 

 走っている自転車ではタイヤのいちばん上の位置から離脱した水滴はタイヤの回転によって与えられた速度にタイヤ自体(自転車全体)が前進する速度が加わって二倍の速さで前方に飛ぶ。タイヤのいちばん後ろから離脱した水滴は回転によって上方向へ飛ぶが、自転車の前進速度が加わって斜め前上方向に飛ぶ。そしてタイヤのいちばん下から離脱した水滴は(実際には接地しているので跳ねは飛ばないが)回転による後方への速度と自転車の前進速度が打ち消しあって、速度ゼロとなる。

 

 接地した直後に後方へ飛ばされる跳ねもやはりプラスマイナスするとやや前方へ飛んでいる。
 なんといずれの跳ねも全く後ろへは飛ばず、全部前へ飛んでいるではないか。

 

 500円玉のようなものを机の上に立てて転がしてみよう。縁の一点に何か印を付けて接地させ、ゆっくりと左へ転がして行くと、その一点はゆっくりと上昇しながら徐々に左へ進んでいくことが分かる。その軌跡を記したものが下の図である。

 

 この軌跡はサイクロイド曲線と呼ばれているものである。タイヤ上の全ての点がこのサイクロイド曲線を描いて動いていくのだから、そこから離れる水滴はこの曲線の接線方向に飛ぶことになる。図を見ればそれは常に前進方向に向っていて、決して後退方向を向くことがないのが分かる。

 我々が自転車の跳ねを見て後ろに飛んでいると思うのは視線を自転車の動きに合わせているからであって、道路上の一点に視線を固定しているなら、通り過ぎる自転車の跳ねは皆前へ跳ねていることに気付くだろう。

 冒頭の絵では水の粒はタイヤから跡を引いて後ろへ飛んでいるように描かれている。しかし、実はどの水の粒も、もっと後ろの地点でタイヤを離れて、今、前方へ飛んでいる最中なのである。

 感覚的に理解できないとしたら次のように考えてみよう。
 いま、乾いた道路の一部に水を撒いてある。そこへ乾いた方からやってきた自転車が差し掛かると、跳ねは自転車のあとを追うように前方へ飛ぶだけで、乾いた部分に跳ねが戻ってかかることはない。
 これも良く理解できない? では実際に観察してみることだ。


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