公平な実験

 テレビのバラエティー番組でのひとコマ。
 プロの料理人と素人代表が料理を作っている。それを取り巻く観客たち。料理が出来上がるとみんなで食べ比べをして、やっぱり圧倒的にこちらが美味しいようです、などという結論が出る。

 科学番組ではこういうやり方をしない。作っているところを見せて予断を与えないようにする必要がある。食べる順番も半数の人はAの方から、半数の人はBの方から食べるようにする。食器にも赤い皿と青い皿というような区別や番号を付けたりすることを避けなければならない。スタッフもどれが誰の作った料理か知らない状態でいる必要がある。他にも気を付けるべきことはいろいろある。
 と言ってみたが、実際の番組ではほとんど実行されていることはない。だから厳密には実験とは言えないものである。

 科学の実験は厳密に正しい方法で行わなければならない。
 薬の効き目を調べる実験が分かりやすい。

 まず、実験を行う者は薬の利害関係者であってはいけない。
 被験者は何の実験か知っていてはいけない。
 被験者に薬を与えるだけでなく、薬を与えない被験者を用意して両者を比較しなければならない。
 被験者は自分がどちらに属するのかを知ってはいけない。
 そのために片方の被験者には真の薬と見分けが付かず、かつ、当該の薬効のあるはずのない無害の偽薬を与えなければならない。
 実験者はどれが本物でどれが偽薬か知っていてはいけない。

 などという煩わしい手続きを守る必要がある。この実験に限らず科学実験というものはこの種類の手続きを怠るとほとんど価値のないものとなる。

 テレビでは普通は無視してよい手続きでも、もし番組の趣旨が、論争があったり疑念があったりする事柄について検証しようとする性格のものならば、当然ある程度までは守らなければならないはずである。
 以下はある番組のはなはだ不備な実験の概要である。何が問題なのかお分かりだろうか。

 ここに超能力者と称する男がいて、その男と握手をするだけで人の運動能力がアップするという。真偽を調べるために実験を行う。
 複数の学生がある運動を続けている。すると徐々にその能力が上がる。しかしある時間たつと能力の向上は頭打ちとなる。そこへこの男が現れて一人一人と握手をする(学生は彼が何者か知らされていない)。そしてこのあと計測すると全員の能力がまたアップしていた。
 ここで大学の女先生が現れて説明する。「他に同じ数の学生を用意して同じ時間運動を行わせ、何もせずにまた計測してみたが、能力はアップしなかった。他の要因は考えられないのでやはり彼は何かの力を持っているのかもしれない。」と。

 最後を断定にしなかったのは学者の良心かもしれないが、もし私が彼女の雇用責任者であるなら、大学の名を著しく辱めたという理由で解雇も考えなければならない。(大袈裟か)
 さて、何がいちばんの問題であろうか。上の薬の例を参照して考えればよく分かる。最初のほうの条件については怪しいところもあるが、まあまあ良しとできる。しかしもう少し見ていくと・・・
 そうである。先生の説明の「何もせずに」というところがいけないのである。他に用意した学生達には自称超能力者と外見がそっくりな男を用意して、同じように握手をさせなければいけなかったのである。それではじめて公平な実験と言える。で、もしそうしたらどうなっただろう。実験の途中で現れた男が思わせぶりに握手をしてくれば誰だって暗示を受けてしまう。双方の学生達の結果はほぼ同じになっただろう。断言してもよいが、もし私が出て行って同じように握手をしても学生達の能力はアップしただろう。実際の薬効試験でも必ず偽薬が効果を示すものだ。時には真の薬を上回ることも少なくない。
 つまり、人間はそのようにできているものらしい。

 先生がもし番組関係者に頼まれて拒みきれずにああした説明をしたのだとすれば(実はよくあることである)、やや同情はするが軽率の誹りは免れない。番組関係者を告訴すべきである。(大袈裟か)


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