私が勘違いしていたのではなかったのである。国道と目的地、B線、E線等の位置関係の把握は全く正確であった。 しかしながら、なんと・・・・ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 国道2××号は2本あったのである・・・(ーー;) そういえばこのころはさかんに国道のバイパスが建設されていた時期であった。しかしどちらの道路上にも同じ数字の国道番号が掲示されていた。道を走りながら標識を見てもどっちの方を走っているのか知ることはできない。この事情は今でも同じだろう。地図も不親切であった。2××号東線、西線とかバイパスとか記してあれば・・・。 私は隣県からずっと道路標識に従って2××を走って来た。当然のように昔から2××と言われている道だと思っている。そして下の図のバツ印の所を黄色線のように左折したつもりでいた。 現実世界の図 そしてB線に到達せずに黄色線のように国道を潜ってE線に到達したと考えた。 だが実際は新しいバイパスの▲を赤線のように左折し、ついで地下道でバイパスを潜ってB線のF駅に到達していたのだ。それでもバイパスの存在を知らない私は本来の国道側から緑色の破線のように接近したと思い込んでいるのでF駅から左へ向かい、G駅に着き、反対だと気がついて線路を渡ってからF駅へ、そしてC駅へと進んだのであった。 後日見に行って分かったことだが、この地点より手前、2××が二本に分かれるところでは全く気付かぬうちにバイパスへ誘い込まれることがわかった。元の2××方向へは進入させないような標識が出ているのである。 以上、推理小説のトリックに使えそうな仕組みである。 結論1。 ものを考える上で真なる絶対的基準とそうでないものを見分ける力が重要である。(大げさ。ちゃんと地図も見よう。) 結論2。 この話は道路管理者の重大な知的怠慢および社会的犯罪について語っている。狐に化かされたでは済まない問題である。時には人命にも関わるかもしれない。地図製作者も難しいではあろうが工夫が欲しい。地図の社会的、歴史的、記録的使命を軽く見てはいけない。 以上、私怨ではない指摘のつもりである。 若い方へ。当時はカーナビなんて無かったのです!
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