真室川連打事件

 もう30年以上も前のことになる。
 私は夏休みの東北旅行に出かけたのだが、十和田湖、田沢湖と周り、その帰りの旅程のことだった。当時はまだ国鉄であったが、多分奥羽本線であったろう、その鈍行列車でゆっくり帰る途中、ふと「真室川(まむろがわ)」という駅名に惹かれて大急ぎで途中下車したことがあった。そうそう、道連れは結婚前の妻であった。

私ゃ 真室川の梅の花 コリャ
貴方また この街の鶯よ
花の咲くのを 待ち兼ねて コリャ
蕾のうちから 通うて来る

 小さいころに真室川音頭を聞き覚えて何故かしらその歌が気に入っていた私は、エッ?ここがあのいかにも床しい真室川なのかっ?と急遽短い観光をしてみる気になったのである。
 今では記憶に遠いその日のことを思い出せる限りここに記してみようと思う。

 季節的に梅の花は無理だが何かそれらしい雰囲気だけでも確認して帰りたいと思い、駅前の街道を右方向へ歩き始めたのだが、炎天下であったためか町並みは何だか埃っぽいような感じがする。もっとしっとりとした雰囲気を、と歩いていくと左を流れる川に長い立派な橋が架かっている。向こう岸の高台には何かありそうだ。橋の手前の寿司屋にソフトクリームの看板が出ていたのでそれを注文したついでに店に荷物を預かってもらってから橋を渡ると果たして梅の木のある公園であった。
 葉っぱだけの梅の木々やブランコの間を奥の方へ上って行くと小さな水道施設の建物があってそこで行き止まりらしかった。ウーンこれだけでは詰まらないということで帰りは左手の急な下り斜面の道なき道を熊笹を漕ぎながら(スカートの彼女には迷惑だったろう)ジグザグに下へ降りて大きく迂回した形で寿司屋へ戻った。
 ちょっとした運動をしたので駅の辺りへ戻って何か食べようと街道を歩きながら探したが、食事の出来そうな店はなかなかない。駅を通り過ぎてから八百屋の小父さんに声を掛けて訊くと、この先に「真室川ナントカ会館」があるという。
 そこは会館というだけあってちゃんとした食事が出来そうな立派な施設のようだった。小父さんはいかにも遠くから観光に来ましたという風なよそ行きの格好の私たちに相応しいと思って推薦してくれたのだろう。しかし生憎そこはお休みであった。八百屋に戻って再び訊くと、丸メガネを掛けてランニング一枚の威勢のいい痩せた小父さんはウーン困ったというような顔で

 「それなら連打だな。」と言った。

 一瞬何のことだか分からずに「エ?レンダですか?」と聞き返す私に小父さんは力強く「んだ!連打だ!」と答えた。そして怪訝そうな私に「この先行くとあるから。」と付け加えた。それ以上しつこく聞き返すわけにもいかない。
 「連打」は店の名前らしいということが分かったので私たちは礼を言い、駅の方角へ歩き始めた。見も知らず、何も買い物をしない私たちに二度も教えてくれた親切な小父さんには本当に感謝したが、しかし私は途方に暮れていた。「連打」というのはおかしい。そんな名の店があるだろうか。ひょっとすると「蓮台」の聞き間違いではないか。これも変ではあるが「連打」よりは店の名前としてはマシだろう。ああ、「連弾」かもしれないぞ。えーと、ほかに心当たりの単語はないなあ、「連濁」なんてあり得ないし・・・ いやいや、何を考えてるんだ。さっき小父さんははっきりと「連打」と言ったのだ・・・
 こうして私たちは「連打」、あるいはもしかしたらを考えてそれに似た名前の店を探し始めた。

 駅の辺りまで行ったがそれらしい店は見つからない。先ほどの寿司屋は食事をやっていない時間だったのか遠いから選択から外したのだったか良く覚えていないが、私たちはまた八百屋方向へ道を戻った。しかし二度までも煩わした小父さんの店の前までまたウロウロ行く勇気はない。とうとう進退窮まったとき、私たちは目の前に喫茶店を見つけた。腹は減っているし、もうここでいいやと中へ入ると(階段を昇ったから二階だったような気がする)、うまいことにラーメンもやっていた。ああ良かったね、小父さんの教えてくれた店は見つからなかったけど、と言いながら腹ごしらえを終えてひょいと私はテーブルの上のメニューだかマッチだかを見て、エーーッ!と叫んだのではなかったろうか。

 そこには「喫茶 リンダ」とあったのだ。

 今の若い人たちにはピンとこないだろうが、昔は東北訛りというものがずいぶん普遍的だった。お寿司をオススと発音するなどとよく揶揄されたものだが、実際にその種の発音を聴く機会は今よりずっと多かった。そして私は仕事柄、言葉の発音に関しては人並み以上に敏感であると自負していたものだったから、このいきなりのノックアウトには参った。
 我慢できないという風に吹き出している彼女に「だって小父さんははっきりとレ・ン・ダ、って言ったんだよお。」と私は言い訳しながら、結局自分もどっと大笑いしてしまった。多分「リンダ」の文字は既に店の外から目には入っていたのだろうが、今の今まで全く気付かなかったとは・・・
 私はなんたることだ、一生の不覚だと何度もつぶやいた。(正に小父さんの「連打」にノックアウトの気分だったのだ。小父さん、笑ってしまってごめんなさい。)

 どこが「事件」だ、なにが「不思議探究」だ、と言われるかもしれないが、私にとっては正にそうだったのだ。母音の「イ」が「ウ」や「エ」のようになるのだと知識として熟知しているつもりでも、実際にああまであからさまに(しかも訊き返されたあと自信たっぷりに)「レ・ン・ダ」と言われると、こちらとしてはもう「レンダ」以外は考えられなくなるのだ。このことが新鮮でショックだった。

 このことに関して一つ思い出すことがある。高校時代、授業でカエルの解剖をしたことがあった。そのときにクラスメートが何かを摘まみ上げて「あ、セミだ、セミが出てきた。」と言ったのだ。「セミ」のアクセントは高・低であった。ミ・ドと言ってもいいし、「赤」・「箸」・「席」などと同じと言ってもよい。
 私はとっさには理解できなかった。一瞬後に「セーメー(生命)(アクセントは高・低・低・低)が出てきた。」なのだと思い、彼が摘まんでいるのは心臓なのだろう、心臓を生命と呼ぶとはなんと詩的な表現だろうと感心したのだった。
 ところが、側に寄ってよく見るとなんとそれは「蝉」(アクセントは低・高)だったのである。消化し切れていない蝉が胃の中に入っていたのだ。「セミ」とはっきり聴いているにも拘らず、アクセントが違うだけで私は「蝉」などとは思いも寄らなかったのである。

 つまりこうだ。私は「セミ」のときは発音を「セーメー」ではないかと疑い、一方「レンダ」のときは発音を疑ってみるなどとは思いもよらなかった。これはなぜだろう。
 それは私が「セミ」(アクセント高・低)という語をかつて聴いたことがなく、意味が理解できなかったからに違いない。単純な音の高低を聞き間違えることはあり得ないから、アクセントではなく発音の方を聴き間違えたのだろうと判断するのは自然だ。一方、「レンダ」は何度も聴いたことがある。「連打」だ。だから聞き間違いとは思わない。しかし店の名としては不自然だから「レンダ」の発音は正しいとした上で似た語の模索はしてみたのだ。

 この出来事はその後私たち二人の間では「真室川連打事件」として終生忘却を許されぬ大惨事扱いとなったのであるが、私にとって人生の一大汚点であると同時に人に聞かせたい上質の笑い話であるような気もしたので、何回か大勢の前で披露したことがある。一回あるラジオ番組でしゃべってみたこともある。しかし他人にとっては大して面白くない話だったかもしれない。実を言うとあのショックを受けた当事者の私にはこれが客観的にどの程度の笑い話と言えるのか判断が着き兼ねているところがあるのだ。独りよがりであったとすればお許しいただきたい。

 参考に略図を付けておきます。敢えて地図などを参考にしないで記憶の印象通りに描きました。位置関係やその他、随分実際とは異なっているだろうと思いますがご容赦下さい。何しろ三十年以上前の記憶なのです。もしお気付きの点がございましたらHomeからお知らせいただければ幸いです。
 追伸になってしまいましたが、お寿司屋さん、八百屋さん、本当にありがとうございました。小父さんはお元気でしょうか。リンダは健在でしょうか。

その後、地元の読者の方から八百屋さんが遠くへ引っ越したこと、リンダが近くに移転したこと、リンダが二階というのは記憶違いであること、などをお知らせいただきました。ありがとうございます。多分街自体も大きく様変わりしていることでしょう。

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