もう30年以上も前のことになる。 私ゃ 真室川の梅の花 コリャ 小さいころに真室川音頭を聞き覚えて何故かしらその歌が気に入っていた私は、エッ?ここがあのいかにも床しい真室川なのかっ?と急遽短い観光をしてみる気になったのである。 季節的に梅の花は無理だが何かそれらしい雰囲気だけでも確認して帰りたいと思い、駅前の街道を右方向へ歩き始めたのだが、炎天下であったためか町並みは何だか埃っぽいような感じがする。もっとしっとりとした雰囲気を、と歩いていくと左を流れる川に長い立派な橋が架かっている。向こう岸の高台には何かありそうだ。橋の手前の寿司屋にソフトクリームの看板が出ていたのでそれを注文したついでに店に荷物を預かってもらってから橋を渡ると果たして梅の木のある公園であった。 「それなら連打だな。」と言った。 一瞬何のことだか分からずに「エ?レンダですか?」と聞き返す私に小父さんは力強く「んだ!連打だ!」と答えた。そして怪訝そうな私に「この先行くとあるから。」と付け加えた。それ以上しつこく聞き返すわけにもいかない。 駅の辺りまで行ったがそれらしい店は見つからない。先ほどの寿司屋は食事をやっていない時間だったのか遠いから選択から外したのだったか良く覚えていないが、私たちはまた八百屋方向へ道を戻った。しかし二度までも煩わした小父さんの店の前までまたウロウロ行く勇気はない。とうとう進退窮まったとき、私たちは目の前に喫茶店を見つけた。腹は減っているし、もうここでいいやと中へ入ると(階段を昇ったから二階だったような気がする)、うまいことにラーメンもやっていた。ああ良かったね、小父さんの教えてくれた店は見つからなかったけど、と言いながら腹ごしらえを終えてひょいと私はテーブルの上のメニューだかマッチだかを見て、エーーッ!と叫んだのではなかったろうか。 そこには「喫茶 リンダ」とあったのだ。 今の若い人たちにはピンとこないだろうが、昔は東北訛りというものがずいぶん普遍的だった。お寿司をオススと発音するなどとよく揶揄されたものだが、実際にその種の発音を聴く機会は今よりずっと多かった。そして私は仕事柄、言葉の発音に関しては人並み以上に敏感であると自負していたものだったから、このいきなりのノックアウトには参った。 * どこが「事件」だ、なにが「不思議探究」だ、と言われるかもしれないが、私にとっては正にそうだったのだ。母音の「イ」が「ウ」や「エ」のようになるのだと知識として熟知しているつもりでも、実際にああまであからさまに(しかも訊き返されたあと自信たっぷりに)「レ・ン・ダ」と言われると、こちらとしてはもう「レンダ」以外は考えられなくなるのだ。このことが新鮮でショックだった。 このことに関して一つ思い出すことがある。高校時代、授業でカエルの解剖をしたことがあった。そのときにクラスメートが何かを摘まみ上げて「あ、セミだ、セミが出てきた。」と言ったのだ。「セミ」のアクセントは高・低であった。ミ・ドと言ってもいいし、「赤」・「箸」・「席」などと同じと言ってもよい。 つまりこうだ。私は「セミ」のときは発音を「セーメー」ではないかと疑い、一方「レンダ」のときは発音を疑ってみるなどとは思いもよらなかった。これはなぜだろう。 この出来事はその後私たち二人の間では「真室川連打事件」として終生忘却を許されぬ大惨事扱いとなったのであるが、私にとって人生の一大汚点であると同時に人に聞かせたい上質の笑い話であるような気もしたので、何回か大勢の前で披露したことがある。一回あるラジオ番組でしゃべってみたこともある。しかし他人にとっては大して面白くない話だったかもしれない。実を言うとあのショックを受けた当事者の私にはこれが客観的にどの程度の笑い話と言えるのか判断が着き兼ねているところがあるのだ。独りよがりであったとすればお許しいただきたい。 参考に略図を付けておきます。敢えて地図などを参考にしないで記憶の印象通りに描きました。位置関係やその他、随分実際とは異なっているだろうと思いますがご容赦下さい。何しろ三十年以上前の記憶なのです。もしお気付きの点がございましたらHomeからお知らせいただければ幸いです。 その後、地元の読者の方から八百屋さんが遠くへ引っ越したこと、リンダが近くに移転したこと、リンダが二階というのは記憶違いであること、などをお知らせいただきました。ありがとうございます。多分街自体も大きく様変わりしていることでしょう。
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