有名な問題である。 100メートルの落差の滝の上と下では水温はどう違うか計算せよ。 参考書にはちゃんと解き方や答えが載っているから、学校の試験に出たらそのように答えればよい。 しかし、これは何とも変な問題である。滝の上下の水温はそんなことで決まるものではない。
たとえ話をするとこうなる。 太郎君の朝食には蛋白質が100グラム含まれていました。太郎君の食事前後の体重の変化を計算しなさい。 この問題の可笑しさはすぐ分かるだろう。体重の変化はそんなことで決まるものではない。 では正しい問題の出し方はどうなのか。せいぜい、 太郎君は蛋白質を100グラム摂取しました。 いや、もっと単純に 100グラムの蛋白質のエネルギーは何グラムの脂肪のそれに相当するでしょうか。 と抽象的な問題にした方がずっと良い。 人間の体重の変化は食物の摂取と排泄の重量に大きく左右され、また他の要因も関係してくる。蛋白質のエネルギーについて問題を作成するのにそんな複雑な、しかも大筋を外した状況を持ち出すことは愚かなことだ。
同様に滝の上下の水温は、水温と気温との差、蒸発熱の量(風、湿度、水柱の形状)、滝壺での水のかき混ぜられ方、などが関係してくる。位置エネルギーについて問題を作成するのにそんな複雑な、しかも大筋を外した状況を持ち出すことは愚かなことだ。 では正しい問題の出し方はどうなのか。せいぜい、 外気の影響を受けないように厳重に梱包された水塊が静かに自然落下した。 いや、もっと単純に 水が100メートル落下したときの位置エネルギーの変化は水温のどのような変化に相当するか計算せよ。 と抽象的な問題にした方がずっと良い。
この項は科学を扱うときの間違った態度の一つの例について述べたことになるのではないかと思われる。「影法師のコブ」「飛行機の原理」も同様の趣旨である。
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