転呼に伴う動詞語幹の問題について
●現代標準語と現代仮名遣い
歴史的仮名遣いで「言ふ」と書く動詞は現代標準語(いわゆる「共通語」)においては転呼して「ユー」と発音されている。原理的には現代仮名遣いでは「ゆう」と書かれるはずが、実際は語幹表記を一定に保つために下記のように発音に拠らない表記規定が設けられている。
「言う」
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「イウ」と「ユー」の発音の差異は比較的小さいので一般にはこの規定は大きな問題とは考えられていないが、次のような補償的現象が存在する。
無理な綴り字発音である「イウ」を試みようとする人がある。
語幹の不一致を正そうとする「ユワナイ、ユイマス、ユエバ、ユオー」などの発音が見られることがある。
もし現代仮名遣いに「ゆう」が採られていたとしたら、「いわない、いいます、ゆう、いえば、いおう」という不安定な活用表は早晩語幹を一定とする「ゆわない、ゆいます、ゆえば、ゆおう」などの形を誘発し、その結果「い」の語幹は古い言い方と見なされるようになっただろうと思われる。(次々項「酔う」の例参照)
一方、「会ふ」「買ふ」類は現代標準語(いわゆる「共通語」)では長音化転呼せずに「アウ」「カウ」と発音されるので語幹の発音は「ア」「カ」で一定している。転呼の原理よりも語幹を一定に保つ原理が優先されているわけである。したがって語幹表記の問題はない。
●関西系方言を基にした仮想標準語と現代仮名遣い
もし原則通り「会ふ」を「オー」と転呼して発音する方言が標準語に採用されていたとしたらどうなっていたか。その場合でも現代仮名遣いでの表記は語幹表記を一定とするために発音に反して下のようにしなければならなかったであろう。
「会う」
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そしてこの場合は発音と表記との乖離が大きいのが問題となる。
敢えて「おう」の表記を採る選択もありうるが、すると「会」を「オ」と読んでいるうちに語幹がこぞって「お」に変化する可能性がある。その際には「あ」の語幹は古い言い方と見なされることになるだろう。
●実際に語幹を変化させた例
「酔う」
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転呼後、終止・連体形の「ヨー」と他形との発音の差異が大きく、活用は極めて不安定となった。
間もなく有力な終止・連体形に引きずられて語幹はこぞって「よ」に変化し、新語となった。
「ゑ」の語幹は古い言い方と見なされるようになった。
参考: 近代以降の刊行物に「ゑふ」などの表記が非常に多く見られるが、古語の引用である場合を除いては錯誤によるものである。当時「エワナイ、エイマス、エエバ、エオー」などと発音していたわけではなく、当然「ヨワナイ、ヨイマス、ヨエバ、ヨオー」と発音していた。正しくは「よ・・」と書くべきものをいろは歌などの古語の印象に引かれて「ゑ・・」と誤記したもの。