全仮名表記
赤字は現代仮名遣いと異なる部分です。
あるひのことでございます。おしやかさまはごくらくのはすいけのふちを、ひとりでぶらぶらおあるきになつていらつしやいました。いけのなかにさいてゐるはすのはなは、みんなたまのやうにまつしろで、そのまんなかにあるきんいろ(こんじき)のずいからは、なんともいへないよいにほひが、たえまなくあたりへあふれてをります。ごくらくはちやうどあさなのでございませう。
やがておしやかさまはそのいけのふちにおたたずみになつて、みづのおもてをおほつてゐるはすのはのあひだから、ふとしたのやうす※1をごらんになりました。このごくらくのはすいけのしたは、ちやうどぢごくのそこにあたつてをりますから、すいしやうのやうなみづをすきとほして、さんづのかはやはりのやまのけしきが、ちやうどのぞきめがねをみるやうに、はつきりとみえるのでございます。
するとそのぢごくのそこに、カンダタといふをとこがひとり、ほかのざいにんといつしよにうごめいてゐるすがたが、おめにとまりました。このカンダタといふをとこは、ひとをころしたりいへにひをつけたり、いろいろあくじをはたらいたおほどろばうでございますが、それでもたつたひとつ、よいことをいたしたおぼえがございます。とまうしますのは、あるときこのをとこがふかいはやしのなかをとほりますと、ちひさなくもがいつぴき、みちばたをはつていくのがみえました。そこでカンダタはさつそくあしをあげて、ふみころさうといたしましたが、「いや、いや、これもちひさいながら、いのちのあるものにちがひない。そのいのちをむやみにとるといふことは、いくらなんでもかはいさう※2だ。」と、かうきふにおもひかへして、たうとうそのくもをころさずにたすけてやつたからでございます。
おしやかさまはぢごくのやうす※1をごらんになりながら、このカンダタにはくもをたすけたことがあるのをおおもひだしになりました。さうしてそれだけのよいことをしたむくひには、できるなら、このをとこをぢごくからすくひだしてやらうとおかんがへになりました。さいわひ、そばをみますと、ひすいのやうないろをしたはすのはのうへに、ごくらくのくもがいつぴき、うつくしいぎんいろのいとをかけてをります。おしやかさまはそのくものいとをそつとおてにおとりになつて、たまのやうなびやくれんのあひだから、はるかしたにあるぢごくのそこへ、まつすぐにそれをおおろしなさいました。※1 「容」は宛字。本来は「様」。「容」は「よう」
※2 「可哀」は宛字。「哀」は「あい」