全仮名表記
赤字は現代仮名遣いと異なる部分です。
わがはいはねこである。なまへはまだない。
どこでうまれたかとんとけんたうがつかぬ。なんでもうすぐらいじめじめしたところでニヤーニヤーないてゐたことだけはきおくしてゐる。わがはいはここではじめてにんげんといふものをみた。しかもあとできくとそれはしよせいといふにんげんぢゆうでいちばんだうあくなしゆぞくであつたさうだ。このしよせいといふのはときどきわれわれをつかまへてにてくふといふはなしである。しかしそのたうじはなんといふかんがへもなかつたからべつだんおそろしいともおもはなかつた。ただかれのてのひらにのせられてスーともちあげられたときなんだかフワフワしたかんじがあつたばかりである。てのひらのうへですこしおちついてしよせいのかほをみたのがいはゆるにんげんといふもののみはじめであらう。このときめうなものだとおもつたかんじがいまでものこつてゐる。だいいちけをもつてさうしよくされべきはずのかほがつるつるしてまるでやくわんだ。そのごねこにもだいぶあつたがこんなかたは※にはいちどもでくはしたことがない。のみならずかほのまんなかがあまりにとつきしてゐる。さうしてそのあなのなかからときどきぷうぷうとけむりをふく。どうもむせぽくてじつによわつた。これがにんげんののむたばこといふものであることをやうやくこのごろしつた。
このしよせいのてのひらのうちでしばらくはよいこころもちにすわつてをつたが、しばらくするとひじゃうなそくりよくでうんてんしはじめた。しよせいがうごくのかじぶんだけがうごくのかわからないがむやみにめがまはる。むねがわるくなる。たうていたすからないとおもつてゐると、どさりとおとがしてめからひがでた。それまではきおくしてゐるがあとはなんのことやらいくらかんがへださうとしてもわからない。
ふときがついてみるとしよせいはゐない。たくさんをつたきやうだいがいつぴきもみえぬ。かんじんのははおやさへすがたをかくしてしまつた。そのうへいままでのところとはちがつてむやみにあかるい。めをあいてゐられぬくらゐだ。はてななんでもやうすがをかしいと、のそのそはひだしてみるとひじやうにいたい。わがはいはわらのうへからきふにささはらのなかへすてられたのである。
やうやくのおもひでささはらをはひだすとむかふにおほきないけがある。わがはいはいけのまへにすわつてどうしたらよからうとかんがへてみた。べつにこれといふふんべつもでない。しばらくしてないたらしよせいがまたむかいにきてくれるかとかんがへついた。ニヤー、ニヤーとこころみにやつてみたがだれもこない。そのうちいけのうへをさらさらとかぜがわたつてひがくれかかる。はらがひじやうにへつてきた。なきたくてもこゑがでない。しかたがない、なんでもよいからくひもののあるところまであるかうとけつしんをしてそろりそろりといけをひだりにまはりはじめた。どうもひじやうにくるしい。そこをがまんしてむりやりにはつていくとやうやくのことでなんとなくにんげんくさいところへでた。ここへはひつたら、どうにかなるとおもつてたけがきのくづれたあなから、とあるていないにもぐりこんだ。えんはふしぎなもので、もしこのたけがきがやぶれてゐなかつたなら、わがはいはつひにろばうにがししたかもしれんのである。いちじゆのかげとはよくいつたものだ。このかきねのあなはこんにち(けふ)にいたるまでわがはいがとなりのみけをはうもんするときのつうろになつてゐる。※ 「輪」は宛字。本来は「端」か。