全ての俳句を愛し、全てを抱擁して余りある無条件の熱情。俳句絶讃倶楽部は永遠に絶讃し続けます。
俳句とは何か ―私の考へ方―
ここで私が対象とする俳句とは何かと聞かれたら、次のやうなものだと答へることができます。
1.感動を詠んだ短文が俳句です。
長いものには短歌や詩といふ名前が付きますから、俳句は短いものといふことになります。必ずしも五、七、五である必要はありません。
理論的には一語文も可能ですが、入力の途中で誤つて送信したに等しいと思しきものは採用いたしません。
2.俳句は多くの場合季節感を詠み込みます。
季語を効果的に使ふことは大切ですが、必ず歳時記で確認した季語を一個だけ使はなければならないと決まつたものではありません。季語についてのタブーはないと考へます。
3.俳句では「切れ」が意識されます。
「切れ」とは、句点「。」を打つことができると考へられる位置のことです。読む時にそこで立ち止まつて感動を確認することが可能な場所です。
どんな俳句でも基本的には最後の位置に「。」を打つことができますからそこが「切れ」ですが、それ以外に「。」を打つことができる場所を作ることが一つの技術になります。「切れ」を挿んだ前後の異なる感動を統合した新たな感動を作り上げることができるからです。
4.「切れ」には「切れ字」を使用することができます。
「切れ」の位置で文字数が足りないときに「や」「かな」「けり」などを補ふことがあります。そこでは感動が効果的に確認されることになります。文字数が超過しても敢へて切れ字を使ふことがあるのはそのためです。
以上です。
ただし少なくとも1.に合致してゐるならば、それはすでに俳句であると私は考へるものです。なほ、「仮名遣ひ」は基本的に俳句の価値を左右するものではないことを確認しておきます。その上で、この倶楽部は歴史的仮名遣ひ学園に間借りしてゐる以上、掲載は歴史的仮名遣ひに統一いたしますのでご承知置き下さい。
俳句絶讃倶楽部部長