補講405教室
特別授業:発音変化による新語形の表記について
「帰(かへ)る」の意味で「ケール」と言ふことがあります。転訛(訛り)の一種ですが、これは「けへる」ではなく「けえる」と書きます。
元の語から、音便によつて語形が派生した場合はその発音通りに書かれました。(発音の変化と表記の関係参照)
転訛(訛り)・融合・縮約・母音の付加・長音化・短音化などによる新語形もまつたく同じ扱ひです。いくつかの語について説明のし方を工夫して変へながら記してみます。
「もとへ」→「もとい」
すでにハ行ではなくなつた「エ」の発音がア行内で「イ」と変化した現象であるから「へ」と「い」をつなぐ中間を想定して「ひ」を持ち出すのは意味がない。「ひ」とするべき文法的根拠、例へば動詞「もとふ」があるわけでもない。
「ゐばる」→「えばる」
すでにワ行ではなくなつた「イ」の発音がア行内で「エ」と変化した現象であるから「ゐ」と「え」をつなぐ中間を想定して「ゑ」を持ち出すのは意味がない。
「まゐる」→「めえる」
「マウィ」の発音が「メー」となることはない。「マイ」と母音が連続する発音になつたからこそ「メー」と変化した現象であるからワ行の「ゑ」を採る根拠はない。
「はひる」→「へえる」
「ファフィ」や「ハヒ」の発音が「ヘー」となることはない。「ハイ」とア行の「イ」で母音連続となつてから「ヘー」となつた現象。「へへる」とする意味がない。
「てまへ」→「てめえ」
「マヘ」の発音が「メヘ」になつたのなら「てめへ」と書かれたであらうが、そのやうな音韻過程は考へられない。いつたん「マエ」と、ハ行要素が取れて母音の「ア」「エ」が連続したからこそ「メー」と長音化したのである。表記にハ行の「ヘ」を介入させるのは事実を曲げるものである。
「おめえ」も同じ。「かへる」→「けえる」
前項と同様、既にハ行を含まなくなつた「カエ」だからこそ「ケー」となつた現象。「けへ」の表記は根拠に反する。
「わらはう」→「わらお」
すでにハ行ではなくなつた「オー」の発音が文法と関係なく「オ」となつた現象。ハ行内の発音変化でもなく「わらふ」の別の活用形でもなく、「オー」の短縮に過ぎない。
もしハ行転呼せずに「ワラファウ」→「ワラファォ」→「ワラフォー」→「ワラホー」→「ワラホ」となり、そこでハ行転呼が起こり「ワラオ」となつたのならば、「ワラホ」の時代に「わらほ」の表記が確立したはずであるが、その過程は事実ではない。
「しちやお」も同じ。cf. 「あはう(宛字:阿呆)」はハ行転呼を経ずに長音化転呼だけして「アホー」といふ発音となり、その後「アホ」と短い語形もできてそれは当然「あほ」と書かれてゐる。
参考:
「では」から変化してできた「ぢや」は、そのやうに発音されたのでそのやうに書かれた。その後発音は「じや」との違ひがなくなつたが、最初のままに書かれる。
「といふ」から変化してできた「ちふ」は、そのやうに発音されたのでそのやうに書かれ、その後「チュー」と転呼して現在に至つてゐる。
仮に現代において初めて「チュー」といふ語形ができたのだとしても、その表記は文法項目の縛りによつて語尾を「ふ」とすることになる。「たか(高)い」が「たけえ」、「はやい」が「はええ」となるのは活用してゐるわけではない単なるぞんざいな音への変化である。
同様に「よわい」が「よええ」となる。仮に「ゑ」の発音が「え」と異なる時代にできた語であつたなら「よゑえ」であつたかもしれない。
「こは(怖)い」が「こええ」となるのも同じ。仮に発音がハ行の時代のうちにできた語であつたなら「こへえ」であつたかもしれない。「読むで」「死ぬで」「会ふて」「〜てしまはあ」「笑ほ」「しちやほ」などについて