日本史における武士の役割

公的な治安維持軍が廃された平安時代に、以前から方々に存在していた豪族・貴族(働きもせず武闘訓練に専念できる階層)を出自とする兵(つわもの)・武人の家系に属する人々が組織化し、戦士的な領主となっていきました。それらが一つの階層をなすようになり、そしてついに国の政治を担うまでになるのです。


●ものの考え方
現代の私たちは家庭教育や学校教育で合理的精神を学びます。でも
古代の人たちはそれを学ぶことはできませんでした。ただ迷信に流されて生きるしかありませんでした。
しかし
中世には武力という現実が不合理を破壊し始めました。なんだ、力でもって挑戦すれば現実を変えることができるじゃないか、と。
つまり、人々は力と工夫がものを言うことに気付いたのです。


●貴族・武士・民衆の力の推移のイメージ(種々の見方がありますが、そのうちの一つの見方による模式図です。)

「貴族の権威に揺るぎのないのが古代。武士の力によって貴族の権威が怪しくなってきたのが中世。」
「中世というのは
貴族の力を武士が奪っていく過程だったのだな。」
「平安という名称からは貴族の匂いがする。鎌倉は武士の匂いがする。室町は武士と貴族と庶民の匂いがする。」
民衆は武士に引っ張られて来たように見える。歩みは遅いが昇り続ける。それにしてものろい。」
「武士というものは疾風(はやて)のように現れて疾風のように去って行った。いったい日本史にとって何者だったのだろうか。」
武士という身分は消えたが、人材は民衆のリーダーへと移行したのだ。」
「古くから力を持って紆余曲折を経ながら最後に消えたのが貴族、途中で現れて途中で急に消えたのが武士、一貫して伸びてきたのが民衆。」
などと、いろいろな見方ができます。

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