4時間目 重要語句で把握する
原始
古 代
中 世 近 世
近代
〜弥生
大和(古墳) 飛鳥 奈良 平安
鎌倉
建
武室町 安土桃山 江戸 明治〜
南北朝 戦国 再び簡単に、重要語句で流れをまとめてみましょう。
古 代
有力豪族の連合が九州から東国までの国土を統一しました。 大和政権:大王(おおきみ・天皇)を中心とする豪族たち 崇神王朝:4世紀の大和 応神王朝:5世紀。国土拡大・外交を進める 継体王朝:6世紀以降。歴史記録を進める 氏姓制度:豪族たち(氏、うじ)に与えた世襲的役職(姓、かばね) 有力氏族:大友、物部、蘇我氏ら
強大な隋唐帝国の周辺で生き残るために中央集権体制をめざしました。
聖徳太子:冠位十二階・十七条憲法などで氏姓制度の弊害を正す 大化の改新:天皇中心の中央集権 律令制輸入:統治のための先進文明取り入れ 公地公民:豪族の土地・人民支配終わるれ 記紀:『古事記』『日本書紀』。政権の由来を神話・過去の記録から示す。
律令体制が崩れ始めました。
公田の荒廃:貧民が逃亡し班田制が崩れていく 荘園:強者の土地私有 平将門の乱:皇統よりも武力が統治者を決めるという思想の嚆矢 東国の反乱・鎮圧:治安の乱れと武士の台頭
一方、華やかな王朝文化が花開きましたが、その中にあって権力を横取りしようとする動きとそれに対抗する動きがありました。
王朝国家:個人への支配が崩れて土地に課税せざるを得なくなった体制 摂関政治:藤原氏による天皇の弱体化 院政:上皇による天皇家の巻き返し
公的な軍団が廃止され、また地方政治の乱れから武士の存在が大きくなっていきました。
実力のない貴族は武士の武力に頼り、その後却ってその武力の介入に耐えられませんでした。保元・平治の乱:前者は上皇・天皇の争いに武士が参加した戦い、後者は武士同士の主体的な戦い 平氏政権:名目は朝廷に属する形の武家政権
朝廷の反平氏運動が結局本格的な武家政権を招きました。
中世
近世
鎌倉幕府は武家の名門(源氏)として地方の武士を掌握しましたが、初期には朝廷の支配も並存しました。 鎌倉幕府:朝廷から離れて立つ本格的武家政権 守護・地頭:御家人が任じられ、以後貴族の地方支配に食い込んでいく 執権:幕府の要職。この地位にあった北条氏が源氏将軍に代って実権を握る。承久の変:朝廷の巻き返しを跳ね返して幕府の権威を打ち立てたた戦い 大田文:土地台帳。土地に対する武士の権利確認 得宗:権力を私有化する北条氏の惣領
鉄製農具普及、農業技術向上、生産力増で人口が増え、さらに銭貨の輸入・流通拡大などで産業・商業が発達しました。
一方、元寇による疲弊、分割相続による武士の貧窮と格差増大、得宗の専制などにより御家人の人心が離れていきました。そして有力御家人が後醍醐天皇の反幕運動に加担することとなり、幕府は倒れます。しかし結局間もなく新たな武家政権が生まれることとなります。元寇:幕府の疲弊と専制を招く 徳政令:御家人の土地売買等無効・棒引きに。幕府の統制強化・武士の威信低下 建武の新政:後醍醐天皇による朝廷の一時的巻き返し成功 南北朝:足利氏の謀反で後醍醐天皇が南方へ逃亡。以後50年以上南北両派の対立続く
足利氏(源氏の流れ)による室町幕府は各地の名門の守護大名の連合の上に載った形でした。守護大名は域内の地頭を配下に収め、公領・荘園の権利を奪い取って強固な領国を形成していました。幕府の統率力はしだいに失われ、武士階層内部の相克が顕わなものとなって収拾がつかなくなっていきました。
応仁の乱:将軍継嗣問題に有力守護大名が絡んだ騒乱。戦国時代への序章 一揆:力をつけた民衆と下克上の風潮 鉄砲・キリスト教伝来:海外情勢の押し寄せ
戦国時代を経て(血統や出自、幕府の権威などと関係なく実力者(戦国大名)が実戦で互いに競い合った結果)、強力な中央集権により全国を統制する新型の武家政権が出来ていきます。このころ、武士たちは土地を離れて城下町などへ移住し、実際に耕作を担当する百姓に年貢を納めさせました。(兵農分離)
勝者は織田氏→豊臣氏→徳川氏と変転しました。
またこの時代には古代の影を引きずる中世的な傾向(血統主義・宗教的権威など)も薄まり、ヨーロッパ文化到来、鉄砲の普及、商工業の発達、民衆文化の興隆、合理的精神の広まりなどにより、もう一息で近代への扉が開きそうにも見えました。
この段階から後を近世といいます。太閤検地、刀狩:荘園消滅、武士・農民の身分分離、武士政権の延命、歴史の流れへの抵抗 鎖国:キリスト教禁止と大名の貿易統制、歴史の流れからの逃避
徳川幕府は厳しい統制と鎖国政策の下、社会の安定と人口の増加をもたらし、産業興驕E都市勃興・商品経済・学問発達・民衆の教育水準の高まり、また参勤交代制による文化の全国普及、標準語の原型成立など、近代への素地が整えられていきました。しかし流動性のない社会は人々が門地を越えて活躍する気運を失わせ、政治的発展(民主主義への動き)は停滞し、近代国家への脱皮はなりませんでした。一方、貨幣経済・商品経済の浸透は農村・農民の統制を困難にしていきました。
幕藩体制:大名による地方分権制をさらに幕府が強力に統制する中央集権制 寛永の鎖国完成:幕藩体制を脅かす外国の影響遮断 享保・寛政・天保の改革:統治の崩れと財政の建て直し ペリー来航:鎖国の終わりの始まり
その後討幕派は強大な外国勢の圧力を前にして、古い幕藩体制を解体することに成功しました。
安政の大獄:幕府混乱の中での弾圧 薩長同盟:反幕勢力の結束 大政奉還:徳川家が生き残る方策としての政権返上 戊辰戦争:決着のための掃討
名目は朝廷の反幕運動と言えますが、次は貴族政権でも武家政権でもありませんでした。
近代 近代化への素地ができていた日本は急速に先進諸国に追いつこうとしていきます。 版籍奉還・廃藩置県:武士の土地支配終わる
つまり日本史の流れとは、下図のように
古代
貴族政治中世 近世
武家政治(封建時代)近代・現代 政権層内の争い → 権力者交代の繰返し → 新政権層と交代 政権層内の争い → 権力者交代の繰返し → 新政権層と交代 小国家分立 → 大和政権 → 律令国家 → 王朝国家 → 先駆的武家政権(平氏) 中世武家政権(鎌倉・室町) → 近世武家政権(織豊・江戸) 民 衆 の 力 の 増 大→民 衆 の 力 の 増 大→民 衆 の 力 の 増 大→民 衆 の 力 の 増 大→ 「政権層内の争い→権力者交代の繰返し→衰亡→新政権層と交代」という流れを二回重ね、その上に「民衆の力の増大」が伴っていたという図式にまとめられることが理解できたと思います。
参考:権力闘争年表この流れのうち貴族だけが政治を担った時代を古代と言います。古い価値観(血統・宗教など)のみの時代でした。民衆の力が増大する契機に乏しい時代です。
武家が政治に加わった時代を中世と言います。実力という価値観が加わりました。民衆も努力や工夫が報われることを知りました。
武家政治時代の後半を近世と言います。古い価値観が廃れ、合理的精神が広まった時代です。民衆が自治を行う都市もありました。
その後、国民全体が政治を担う形式に進んでいく時代を近代・現代といいます。アジア一般の歴史には、ヨーロッパや日本におけるような中世という時代が欠落していると言われることがあります。その見方に立てば、日本を除くアジア諸国では古代的な政治形態から民衆の力の十分な発展のないままに外国の干渉によって一気に近代政権主体へ飛躍しようとしたため、安定的な民主政治が定着するには相当な困難を伴うのだという理解が成り立つでしょう。
歴史を学習するときには、一つ一つの細かい事項をただ闇雲に暗記するのではなく、それは歴史の流れを進める方向に働いたものであったのか、あるいは押し返す方向に働いたのか、ということを考えながら覚えるようにするとよいでしょう。そうするとつまらないと思っていた日本史の勉強がとても楽しくなって来るはずです。
また、たとえばいわゆる難関と言われるような大学のユニークな入試問題に柔軟に対応するためにも、上のような歴史認識をしっかりと把握しておくことが大切だと思います。
さあ、もうお待ちかねのお昼になりますね。
それでは皆さんと一緒に昼食を食べながら時代名とその順番について雑談をすることにしましょう。雑談ですからね、ぜーんぜん楽しいですよ。
ご持参の弁当を持って食堂教室へ移動してください。事前に昼食を注文された方には食事が用意してあります。