2時間目 政権主体の移り変わり

1 基本の基本
2 政権主体
3 変動の動機
 
武士の役割
4 重要語句
 時代名とその順番
5 簡単年表
6 総まとめ
 総合年表

日本史上の政権の主体はごく簡単に言うと次のように移り変わってきました。

縄文時代までは基本的には政治というものは未発達でした。

稲作(水稲)の普及により登場した豪族の一部がその後貴族となって政治を行いました。

そして貴族政治の下に発生してきた武士がその後貴族を圧倒して武家政治を行いました。

武家政治が終った後は国民全体が政治に関与できる方向に進んでいきました。


そこで考えてください。

どうして時代は変化して来たの? 何で変わって来たの?

これからお話しするのは、その理由と、その結果と、その続きのお話です。


それでは時代区分と政権の移り変わりについてもう少し詳しく見てみましょう。スライドを見てください。この図は日本史の過去1万年を表しています。

旧石器時代に続く縄文時代は1万年以上も続いた長い長い時代でした。文化が芽生え始めましたが社会の発展に乏しく、政治というほどのものはありませんでした。その後弥生時代に入ると急速に時代が進んで行くのがわかります。政治も発達していきます。目盛は1,000年。弥生時代の白い縦線は西暦元年です。

今から過去3千年ほどを拡大すると次のようになります。


     弥生     

大和(古墳) 飛鳥 奈良 平安

鎌倉


室町 安土桃山 江戸

明治

日本の政治は 赤(貴族政治)青(武家政治)緑(国民政治) と進んできたのですね。
この色分けこそが日本史の構造の大きな骨格なのですが、これに気付いていないといつまでたっても日本史はゴチャゴチャの出来事の集まりにしか見えません。
このあともこの色分けに留意していってくださいね。

ではまず日本史の政治の流れをサッと概観します。












日本列島に当たる地に人類が移ってきたのは数万年前の旧石器時代です。
16,000年程前から徐々に移行した縄文時代(新石器時代)には土器による食物の煮炊きが可能となって生活が安定し、定住・集住も始まりました。
 

(このスライド史料の、正にこの竪穴式住居(今の千葉市に当たる地に存在)のこの土の上に座って家族と一緒に食事をしていた一人のDNAが後の鎌倉幕府の源頼朝につながっていないと、誰が断言できるでしょうか。あるいはそのDNAの一部があなたの体の中にまで受け継がれているという可能性をどうして否定できるでしょうか。日本史とは、現代人が過去の日本人と確かにつながっていると確信することによって、より正しく把握できるものだと思います。)

この時代には貧富の差や階級などはほとんどありませんでしたので、人の上に立って行う政治というものは未発達でした。

その後稲作、特に水田耕作が始まると生活文化は急速に進歩します。大規模な定住が進み、貧富の差が生まれ、共同作業の管理などをめぐって優れたリーダーが台頭して豪族へと育っていきました。シャーマニズムはだんだんと意味を失っていきます。ここまでを原始時代といいます。

 





豪族たちは初めはムラ程度から、やがてクニといわれるまでの規模で人々を治めました。青銅器や鉄器などの金属器も知られました。
彼らは戦いを通じてまとまっていき、大陸との外交によって権威を得た
大王(おおきみ、天皇)を中心とする大和政権(ヤマト王権)となって国土を統一しました。漢字も輸入され、文化の発展に寄与しました。
この豪族政治は仲間内の争いを経ながら中央集権を成し遂げ、
貴族政治(奈良時代・平安時代)へと熟していきます。
これ以前とこれ以後では政権の意義が大きく異なります。その意味は間もなく分かります。



貴族の統治の乱れや不徹底の中で台頭してきた武士階層が貴族内部の争いに乗じて政権を奪います。そしてまもなく関東に本格的な武家政権が誕生します。(鎌倉幕府)
その後元寇その他の原因で幕府は疲弊していきました。
  天皇の巻き返しで一時的に朝廷政治が復活します。(建武の新政)



建武の新政は武士階層の反発を招いて倒され、武家政権に戻ります。(室町幕府)
この時点ではすでに地方の武士勢力は強大な力を蓄えており、新幕府は地方に対する押さえに腐心しました。そしてその後有力武士間の争いが大きな争乱となり、引き続き全国的な戦国時代に入ります。(このころ貴族は文化的にも影響力を失いました。)
その後門地は意味をなくし、有力大名同士が実力でつぶし合って、結局最後に勝ち残った武士が再び関東に幕府を開きました。
(徳川幕府)
この幕府は巧みに大名の力を抑えて長期政権を保ちましたが徐々に疲弊していき、外国勢力が迫る中、激しい討幕運動により終焉を迎えました。
これ以前とこれ以後では政権の意義が大きく異なります。その意味は間もなく分かります。
  新政府は名目上は朝廷政治の復活でしたが、すぐに憲法や国会が作られました。


これが最も簡単な日本史の流れです。もし小学生が即席にこのように説明できたとしたらそれは大変な優等生に違いありません。(中学生でも難しいでしょう。)
これらのことは小学校で確かに習うのですが、他にもいろんなことを大量に習うので本当に大切な基本がどこにあるのか考えて頭の中にまとめる暇がなくなってしまうのです。学習指導要領を見るとこんなに欲張らなくても良かろうという気持ちにもなります。
かと言って、基本の基本だけを教えてそれでお終いとしてしまえ!と言い切る勇気は私にもありません。学校教育の難しさの一つだろうと思います。

ここまでの簡単まとめ

弥生 大和
(古墳)
飛鳥 奈良 平 安 鎌 倉 建武
新政
室 町 安土
桃山
江 戸 明治




























 貴      貴
 族      族
 政      の
 権      油
 が      断
 仲      を
 間      つ
 内      い
 の      て
 争      

 い      

 を      が
 繰      台
 り      頭
 返      す
 し      る
 な
 が
 ら
 続
 く


















  戦
  国
  時
に  代
よ  ∧
る  門
幕  地
府  は
   意
   味
   を
   な
   く
   す
   ∨






     外
     
     
に     
よ   
  
る    
 
幕    
 
府    
 
      動













(もしあなたがこの簡単年表の中身をそらで言えたとしたら、あなたは日本人の日本史理解度上位5%に入っていると私は思います。ホラ、学習意欲が湧いてきましたね。)
(いやそれならもうこれで十分ですって? ダメです。そんなこと言わずにもうちょっとだけ付き合ってください。すごく簡単ですからね。)

では次にこれらの時代がなぜ次の時代へ移っていったのか(変動の動機)を見てみましょう。

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