6時間目 総まとめ --「歴史が進む」とは--

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1 基本の基本
2 政権主体
3 変動の動機
 
武士の役割
4 重要語句
 時代名とその順番
5 簡単年表
6 総まとめ
 総合年表
 権力闘争年表
 ゆとり授業教室

あ、画面が何だか明るくなりましたね。

そうです。このページは日本史の流れの見通しをスッキリ明るくするページなのです。


●日本史の10万年スケール 黒い棒ではありません。年表です。

日本列島に当たる地に人が住み始めたのは数万年前の寒冷な時代です。それから旧石器時代(無土器時代)が長く続いた後、約16,000年前から徐々に縄文時代に入りました。日本列島は大陸から完全に分離し、日本及び日本人の範囲がおおよそ定まりました。日本海に暖流が入り込み、温暖・湿潤な気候に変わりました。
縄文時代は1万年以上、弥生時代は千年ほど続きました。(白い縦線は西暦元年を示します。)
ふつうここまでを原始時代といいます。
その後歴史時代(自ら記録を残すようになった時代・赤い部分以降)が始まりました。

●1万年スケール(目盛は1,000年)

歴史時代の始まりをふつう古墳時代とします。文字による記録によって伺い知れるようになったのです。

●紀元後の二千年スケール(目盛は100年)
その後も古代と言われる時代(赤い部分)は長く、しかも現代から見てそう遠くないことが見て取れます。

じ   や       こ       あ  な       へ       か  け   む   あも え

 

●年表のまとめ  赤字青字は優勢な勢力

原始 古代 中世 近世 近代
弥生 大和
(古墳)
飛鳥 奈良 平安 鎌倉 建武
新政
南北朝 室町 戦国 安土
桃山
江戸 近代





















































































































































































































































































































































































































































































































貿
























































































豪族・皇族が土地を支配 公地公民 → 荘園蔓延 荘園・公領の貴族の権利を武士が奪い取っていく 土地は武士が支配 政府が課税
秦・漢 魏晋南北朝 隋・唐・宋 元・明 中国
ローマ帝国   フランク王国 三分割でドイツ・フランス・イタリアへ


●優勢な勢力
 時代順に有力者達の顔ぶれを振り返りましょう。コメントは聴講された国語教師の方にいただいたものです。

小国家分立
豪族 最初は豪族ですね。人間ですから戦争というものを始めました。九州とか畿内とか山陰とかに有力豪族がいたんですよね。

豪族の連合体 大和政権
大王 中でいちばん強い豪族で(そう思ってたのですが、抜きん出るというほどではなかったんですね)、ヤマト地域にいました。
    後には天皇と呼ばれます。
蘇我氏 大王家の邪魔をしようとした氏族。仏教に賛成して勢力を得ました。

中央集権 律令国家
天皇 大化の改新でしっかりした中央集権にして、壬申の乱(天皇家の内輪もめ)も経て権威がつきました。

王朝国家
藤原氏 娘をダシにして、というと言い方悪いですが。外戚ですね。摂関政治。
上皇 藤原氏を退けようとしました。院政ですね。
平氏 武士が権力握りました。清盛が朝廷の太政大臣です。政権を守る!という確固とした政略がなかったような・・。

中世的武家政権
源氏 頼朝とか義経とかが平家にリベンジして、朝廷を離れた幕府ができました。源平合戦は『平家物語』の授業で教えますよ。
(本筋から外れますが、私は地頭とは耕作民の主立ったものに過ぎないと思っていました。地頭はれっきとした武士であることが分かって目が覚めた思いです。そこのところ、教科書の記述が良くなかったのだと思っています。)
北条氏 執権ですね。頼朝の奥さんの実家。実権握った人。源氏の将軍を三代で消してしまった。

一時的政権
後醍醐天皇 強烈信念の人。何度も挑戦し一旦は権力復帰して建武の新政を行い、それから逃亡して南朝の祖となる。

中世的武家政権
足利氏 有力御家人でありながら幕府に反感を持って一旦天皇に味方し、それから裏切って自分の幕府を作る。野心満々。
守護大名 幕府に遠慮なく振舞った印象です。将軍も暗殺しました。
戦国大名 実力の世界。信玄、謙信の世界。名目的にはまだ室町時代。

近世的武家政権
織田氏 容赦ない人。だから勝てたのでしょう。
豊臣氏 出世物語の極み。本能寺の変など運も良かった。最後はみじめな感じで終わりましたね。息子の先行き心配しながら。
徳川氏 人気がありませんねえ。ここが家康でさえなければねえ。社会を固定するのではなく、より先を見据えてほしかった。
討幕勢力 有能な若い人達は沈滞することなく血気があって良かったと思います。

●時代の原理とは何でしょう。

古代が貴族中世・近世が武士近現代が国民の時代です。

現代の私たちから見ると、貴族とはいったい何の資格や能力があって政権を担うことができたというのかよく分かりませんね。(貴族以外は逆立ちしたって政権に近づくことはできなかったのですから、基本的には貴族層はのほほんとしていたのですね。)
その点、武家政権は実力で奪い取ったのものですからその能力は分かりますし、彼らが努力したことも分かります。しかしそれは国民全体を幸福に導ける原理のものではありませんでした。
そして近代以降の政治は、原理的に国民全体の幸福を求めるためにあることを国民から要求されているものです。

古代社会を支配した原理は「迷信」といってもよいでしょう。人々は訳も分からず貴族に従属するしかなかったのです。

その後原理が「実力(武力)」に変わっても武家政権には古代の名残りである「名門」が必要でした。それが中世です。

その「名門」がなくなって「実力」のみとなったのが安土桃山以降の近世です。

そしてその「実力(武力)」が必要でなくなったのが近代です。民衆が政治を担えるまでに育ってきたのです。

●ものの考え方
古代は古い時代です。現代から見ると迷信に縛られて生きているような世界です。
中世は文字通り中間の時代です。力が迷信を否定し切ったわけではないのです。ですから一時的に朝廷政治に戻ったりします。
近世は惜しい時代です。庶民が天下人にまでなれたというのに、そんな時代になったのになぜもう一つ飛躍できなかったのかという時代です。
近代は現代へつながる通路です。

現代の私たちは家庭教育や学校教育で合理的精神を学びます。でも古代の人たちはそれを学ぶことはできませんでした。
中世には武力という現実が不合理を破壊し始めました。人々は力と工夫がものを言うことに気付きました。
近世には社会が発展していよいよ合理的精神が広まりましたが、民主主義の発見までにはもう一つ、種というか触媒が足りませんでした。
そしてそれが外国からもたらされて
近代への扉が開いたのです。


土地は誰のもの(課税権・年貢は誰のもの)だったのでしょう。
人間が生きるために基本的に必要なのは食物です。そしてそれを得るための基盤が土地です。ひとことで言えば、土地を支配してそこから上がる税金を受け取る者が時代の支配者でした。
その支配のありようはおおよそ次のように変遷してきました。

古代にはまず強い者(富める者=豪族や皇族)が農地・人民を支配していました。
その後大化改新により豪族・皇族が土地・人民を私有することを廃し、すべての土地を国家(朝廷)の所有として人民に平等に貸与(口分田)して課税する原則(公地公民・班田収授)が掲げられました。貴族には一定の給与(封戸)が与えられました。

しかし実際にはまもなく地元の有力者(かつての国造や郡司層など)や貴族等が、新たに開墾したり貧民の口分田を取得したりして私的な支配を及ぼす土地が増えていきました(墾田永代私有令と自墾地系荘園)。しかし私的な支配とは言ってもほとんどの土地は課税されました。
そこで領主たちは国司や朝廷機関に頼って課税地の免税権を手に入れ(国免荘・
官省符荘)、また治安不良の中で土地と身分を守るために多くが武者を雇って自ら武士化していきました。
公的な後ろ盾を得られない土地の所有権は不安定なため、後にはそれらの多くが中央の権力者である貴族・寺社(領家)に寄進され、それらはさらに上級の院や摂関家(本家・本所)に寄進されていきました。(寄進地系荘園)。中央の本家・領家は一定の収益を得、在地領主(主に武士)は荘官として徴税と農民の指揮を最末端の荘官である複数の名主に任せました。
荘園とならなかった土地(公領)(国衙領)も、国司に代わって特定の貴族(知行国主)が支配して私領同然の収奪対象としていきました。
こうして国内の耕作地は荘園・公領に二分され、人々はそれらの耕作に雇われる形となって公地公民制は消滅しました。

「荘園・公領制」への転換は日本の土地が「国家」の所有ではなく「領主」の所有物であることとなったパラダイムシフト(税は国へではなく領主へ払うものへと変わった)でしたが、このパラダイムはずっと後の明治を迎えるまで続きました。
ところで、このパラダイムシフトにも関らず、税を最終的に受け取る層がシフトしたわけではありませんでした。それは相変わらず上級貴族たちだったのですが、しかしその層が次の時代には変わっていきます。

中世には鎌倉幕府の御家人である在地領主たちが地頭に任じられ、実力を背景に本来の職権を超えて荘園・公領の支配権を強奪していきました(地頭請・下地中分)。大田文が作成され、土地に対する武士の権利が確認されました。泣く子と地頭には勝てぬ、だったのです。
この時代には、鉄製農具の普及・農業技術の進歩で、農地面積・生産量・総人口、ともに目覚ましく増大しました。
鎌倉末期には所領の細分化を防ぐため分割相続から惣領の単独相続へ移行していったため、家督争いが激しくなりました。
室町期には守護が一国の管理に介入し、地頭たちを配下に治めていき、年貢を貴族等と分け合う二重支配状態(守護請・半済)からさらに任国の政治をほとんど支配(守護領国・一円知行)するに至って貴族の権利は消滅に瀕し、国司の公領に対する権限も有名無実となりました。
武家の家臣は主君から土地を割り当てられて収入を得ました。
荘園・公領内では名主以下の小農民も参加した自治組織(惣村)が発生しました。

近世に行われた太閤検地では土地に関する従来の重層的な権利関係を、年貢を取る領主(主に武士)と年貢(米)を負担する耕作者との一元的な関係として土地ごとに整理して中間搾取を禁じました。その結果武士と農民の身分がはっきりと別れました。荘園・公領は名目上も消滅したことになります。
武家の家臣は土地を割り当てられるのではなく相応の給料(禄米)を受け取りました。
貴族に対しては家格に従って一定の土地が与えられました。
自給自足に近かった農村の経済は商品経済の発達等により変質し、農民は本百姓(富農)と水呑百姓(貧農)に分れていきました。

近代には、土地は領主が所有するものという、長らく続いてきた土地支配のあり方が終わります(版籍奉還・廃藩置県)。政府が土地の私有に対し、それまでの生産物の穫れ高に応じた物納(年貢)ではなく、土地の広さに応じた金納を課すこと(地租改正)となりましたが、税が重かったため基本的な小農が育たず、富農と貧農の格差は拡大していきました。
昭和の戦後には大地主の持つ農地が小作者に分け与えられました(農地改革)。

日本の土地に関する重要な制度改革は、大化改新、荘園・公領制、太閤検地、地租改正、農地改革です。


●文化史的流れ
 あまり触れなかった文化について、おもな名称をまとめておきましょう。華やかさと落ち着きが交互にやって来る印象がありますね。
 最低限、名前だけは憶えてください。内容は自然に付いてくる(はず)。

飛鳥 飛鳥文化:飛鳥時代直前の仏教伝来から大化の改新まで。インド・ペルシャ・ギリシャの影響も。法隆寺。
白鳳文化:大化の改新から平城遷都までの飛鳥時代。白鳳はこの時代の美称。初唐の影響を受け清新溌剌。薬師寺東塔。
奈良 天平文化:奈良時代前半。唐文化の影響を受けた平城京中心の華やかな貴族・仏教文化。東大寺。
平安 弘仁・貞観文化:平安初期。唐文化を消化し日本独自の様式へ。神秘的で厳粛。密教の影響も。室生寺金堂・釈迦如来像。
国風文化:遣唐使廃止以降の平安中・後期。藤原文化。貴族中心で華やか。女流文学。
鎌倉 鎌倉文化:公家文化から武家文化へ。質実で素朴な文化。東大寺金剛力士像。
貴族文化の流れがそのまま普遍的な現代日本文化につながったわけではありません。次の時代には引き続き武士階級による変質、外来文化の消化などが庶民文化への橋渡しを行います。
室町 北山文化:室町初期。北山の金閣寺に代表される華やかな文化 。禅宗の影響。
東山文化:室町中期。東山の銀閣寺に代表される詫び・寂びの文化。
安土
桃山
(安土)桃山文化:大名や大商人による豪華な文化。安土城。
江戸 桃山文化:江戸初期。京都を中心に栄えた文化。安土桃山文化の特徴を受け継ぐ。桂離宮。
元禄文化:江戸中期。上方を中心に栄えた富裕町人による文化。井原西鶴。
化政文化:江戸後期、文化・文政ごろの江戸中心の庶民文化 。刹那・享楽的。浮世絵、滑稽本。

●力の推移のイメージ(種々の見方がありますが、そのうちの一つの見方による模式図です。)


古代と中世の境で貴族と武士の力が交差しています。
建武の新政は図では幅がありますが、実際は一瞬(三年足らず)です。
室町時代には貴族の力は急速に弱まりましたが、文化的な影響力だけはある程度保っていました。
古代は民衆が政治的に成長することのない時代でした。民衆は盲目的に生きるだけだったのです。
その後民衆の力は徐々に伸び、室町時代には急速に発展して安土桃山時代には相当高くなりました。これが「近世」の裏打ちとなりました。
近代への切替わり時期には三つの線が激しく交差しています。
その後明治時代には武士の線が消え、昭和時代には貴族の線も消えました。

「貴族というものはしぶとい。豪族から宮廷貴族、公家、華族などと形を変えながら生き残って来たんだなあ。」
「大昔には文化を高めて伝えていくということは庶民にはできない貴族ならではの役割だったのだ。」
「貴族の権威に揺るぎのないのが古代。怪しくなってきたのが中世。廃れてしまったのが近世。」
「中世というのは貴族の土地を武士が剥ぎ取っていく過程だったのだな。」
「平安という名称からは貴族の匂いがする。鎌倉は武士の匂いがする。室町は武士と貴族と庶民の匂いがする。」
「貴族は何度も武士を倒そうとして、結局次の政権に道を開く役割だったんだ。」
「民衆は武士に引っ張られて来たように見える。歩みは遅いが昇り続ける。それにしてものろい。」
「武士というものは疾風(はやて)のように現れて疾風のように去って行った。いったい日本史にとって何者だったのだろうか。」
「武士という身分は消えたが、人材は民衆のリーダーへと移行したのだ。」
「古くから力を持って紆余曲折を経ながら最後に消えたのが貴族、途中で現れて途中で急に消えたのが武士、一貫して伸びてきたのが民衆。」
などと、いろいろな見方ができますね。

さて皆さん、「歴史が進む」とはどういうことか分かってきたような気がしませんか?
授業の前と比べるとずいぶん日本史の流れが見えてきたような気もするはずです。そして今日のこの授業の延長に学校の授業や参考書による勉強もあるんだなと考えてみることで、これからの日本史の勉強がより楽しくなっていくだろうと、少しは思えて来たのではありませんか。
ただ、歴史の世界というものは本当は一方向への単純な流れだけで説明できるものでないのは当然のことです。今日の授業はそういったところには目をつぶった、ほんの骨組みだけを敢えて単純に記述するのみのものであったのだと理解してください。
またこの授業では近代以降については触れませんでした。近代にはまた近代以前とは異なる歴史の流れというものを考えることができるのですが、それについては別のところで学んでいただくようお願いします。


簡単口頭テスト

いますぐ何も見ずに、下の表の〇部分およびそれぞれの時代の政権の移り変わりについての最重要項目を言いなさい。
制限時間:3分

  古代 中世 近世
政権の担い手の性格 〇〇による政治 〇〇による政治 〇〇による政治
時代名 ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○
都や政権の移り変わりについて


             

まだこの下を見ないように・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

解答の一例

古代 中世 近世
豪族・貴族による政治 名門の武士による政治 勝ち上がった武士による政治
古墳 飛鳥 奈良 平安 鎌倉 室町 安土桃山    江戸   














蘇中
我央
氏集
の権
専∧
横大
 化
 改
 新
 ・
 律
 令
 国
 家
 ∨









人摂武院平
心関士政氏
刷政発 政
新治生 権




名北 後
門条 醍
の氏 醐
源実 天
氏権 皇
に握 の
よる 反
る  幕
幕  運
府  動



建足応戦
武利仁国
の氏の時
新反乱代
政し ・
 て 戦
 京 国
 に 大
 開 名
 幕
織本豊 関
田能臣 ヶ
氏寺氏 原
にのに の
よ変よ 戦
る る い
統 統
一 一
徳   外
川   国
氏   情
に   勢
よ   と
る   討
幕   幕
府   運
    動

残念ながら時間がまいりました。これで今日の私の授業は終わりです。ぜーんぜん難しくなかったですよね。
この授業の内容はこの後まとめられてインターネットで無料公開されることになっていますから、みなさんは是非もう一回最初から順に復習してみてください。授業が一つ進むたびに同じことがまた別の言い方で説明してあるという部分が多いと思いますが、これは理解を深めるのに役立つものですから読み飛ばさないで進むようにしてください。
今日の授業を聞いて下さって日本史って面白そうだなと感じ、皆さんの中から本格的に日本史の勉強や研究をしてみたいと思い立つ方がもし出てくるということがあったとしたら、こんなに嬉しいことはありません。そんな期待の言葉を述べさせていただいて本日の授業を
終わりたいと思います。

ではみなさん、校長先生、本日はお呼びいただいてありがとうございました。このあとちょっと急ぎますのでこれで失礼することにいたします。」




(校長)「どうも先生、ありがとうございました。・・・・・・・・・
はい、皆さん、今日のお話は私はとても分かりやすいけれどもとても深いお話だったと思います。日本史は現代に生きる私たちと直接つながっているものなんだというお話には感銘をうけました。しかし時代名の順番の語呂合わせには笑いましたね。お昼休みの会食をパスした方は残念でした。
私もこのあと日本史を趣味にしてもう少し勉強をしていけばきっと楽しい老後が過ごせるようになるのだろうなという展望が見えてきた気がしております。
しかし、一時間目の授業で安心させて油断させておいて結局最後まで引っ張り込むという強引なテクニックは参考になりました(笑)。

さて、今日の授業をお聞きになった学生の皆さんもこれでもう本格的に日本史の勉強に取り組むためのしっかりした基礎を会得されたと言ってよいのではないかと思います。(途中でズルをした人は後でもう一回ちゃんと授業を復習してください。)
ここで皆さんにひとつ付け加えておくことがあります。今日の先生のお話の中には、用語の一部に教科書とやや違うものがあったかと思います。もちろん間違いということではありませんが、その人の年代によって使用する用語が少し異なるということがあるのです。学生の方でもし気が付かれた方がありましたら、今学校で習っている用語の方で覚えておいた方が例えば受験なんかで楽なのではないかなと、そう理解しておいてください。念のために付け加えました。それではこれで今日の地域連携学習講座の授業を終わります。

それから、出口の方で簡単なアンケートのようなものを配っております。よろしかったらどうぞお受け取りをお願いいたします。それではお気を付けてお帰りください。」

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