3時間目 各時代の主な変動の動機
原始
古 代
中 世 近 世
近代
〜弥生
大和(古墳) 飛鳥 奈良 平安
鎌倉
建
武室町 安土桃山 江戸 明治〜
南北朝 戦国
どうして時代は変化して来たの? 何で変わって来たの?その理由と、その結果と、その続きのお話です。
各時代の主な変動の動機です。下線付きの部分は年表を参照できます。
原
始●人々は政治的束縛を受けずにその日暮らしの生活をしていました。 ●弥生時代に入って急速に広まった水稲栽培は富の偏在、階級分化を促し、各地に小国家が生まれました。
争乱の後、小国家の連合を卑弥呼が治めました。(邪馬台国)古
代●古墳時代には強大な権力をもつ諸豪族が現れ、その連合である大和政権(朝廷)が国土を統一しました。 ●飛鳥時代に大和政権は対外的に国力を整えるため、豪族の専横を抑えて中央集権を成しとげました。
経緯:蘇我氏が他氏を排斥し政権を奪おうとします。
聖徳太子が改革に着手します。隋との外交、積極的な内政整備。
朝廷は蘇我氏を滅ぼすとともに、地方行政、戸籍、税制などを整えて中央集権を達成しました。(大化改新)
唐を模倣した法制(律令)にちなんで以後の体制を律令国家といいます。●奈良、京都に巨大な都が築かれ、文化が爛熟します。
経緯:律令国家の基盤である班田収授制が崩れ始め、有力者の私的土地所有が進みました。(荘園)
天皇中心の整然とした律令国家の形が崩れました。(王朝国家)
藤原氏が他氏を排斥して政権の中枢を独占しました。(摂関政治)
これに対し藤原氏に関係の薄い天皇が、譲位したあとも政権を手放さない「院政」を行いました。なお、この時期に日本は大陸との交渉を絶ち、以後独自の発展に向かいます。
●武士が力をつけ、平氏が政権の中枢を占めます。
経緯:公的な軍団が廃止され、各地の領主層は土地の自衛のために武者の集団を抱えて武装しました。それらのリーダーとして皇族の流れである源氏と平氏が台頭しました。
当初は武士が貴族に従属して貴族層内部の争いに代理戦争を戦いますが、のちに武士どうしが主体的に戦い、
平氏が勝利して源氏を斥けました。平氏政権は朝廷に属する形の政権でした。(平清盛は天皇の外戚かつ太政大臣)
ここまでを古代といいます。平安時代がどんなに華麗に見えても権力の原理は従来のままの「血統」なのでした。ここで古代は終わりです。なぜでしょうか。
貴族政治の時代には権力者の資格は血統によって与えられているので権力を得るための努力ということには大きな意味はありませんでした。
しかし武家政治では権力者には、権力を得て守るための工夫と努力が絶対的に求められたのです。
この根本的契機の発生によって、民衆に対する為政者の責任という概念も初めて実質的なものとなります。以後日本の政治は近代の方向へ向かってゆっくりと動いていくことになりました。
ここからを中世といいます。以降、武家は朝廷の令外官である「征夷大将軍」の名によって朝廷から政治を預かっているという名目を立てます。
中
世
近
世●源氏が平氏を破り、鎌倉に本格的武家政権を立てます。
経緯:朝廷が反平氏運動を画策しました(結局本格的な武家政権を招来することになります)。
頼朝を中心に源氏が平氏に反し、これを滅ぼして幕府を開きました。
権力を握った執権北条氏が他氏を排斥しました。●反乱により鎌倉幕府が倒れ、一時朝廷が復権します。
経緯:元寇などにより幕府が疲弊しました。
天皇が反幕運動を画策しました(結局新たな武家政権を招来することになります)。
地方武士の不満が反幕府運動に乗り、幕府を滅ぼしました。後醍醐天皇が政治を行いました。(建武の新政)●再び武士が政権を取り、京都に幕府ができます。
経緯:新政は武士の期待に応えられず、天皇に味方していた足利尊氏が反乱して北朝を擁立し(南北朝時代)、室町幕府を建てます。
従来は東日本に片寄っていた武家政権が日本の中心を押さえました。
三代義満の時代に南北朝が合一し、政治・文化の最盛期を迎えました。●地方の強大な武士が反乱し、全国的に戦乱が続きます。
経緯:各地の有力な守護大名が幕府に挑戦しました。
応仁の乱以後争乱が続き、幕府は有名無実となりました。
下克上により非名門の戦国大名が現れました。実力のみで勝ち上がる時代。(戦国時代)●一応の武力統一が成ります。(安土桃山時代)
経緯:政権や社会の中世的性質(古代の影)が薄くなり、この時代から後を近世といいます。政権は中央集権へ向かいます。
織田信長が重要地域を平定しました。名目上も室町幕府は滅亡しました。
豊臣秀吉が信長の跡を継ぎ、全国統一しました。●関東に江戸幕府が開かれます。
経緯:秀吉の死後、徳川家康が関ケ原の戦いで勝利しました。
家康は全国の大名を巧みに抑え、幕藩体制が整いました。
外国との交流を絶つ鎖国を行いました。●外国勢の圧力を前に、下級武士階級中心の討幕運動により幕府が倒れます。
経緯:硬直した統治が社会・経済の発展にそぐわなくなり、度重なる改革による立直しが行われます。
対外問題が押し寄せ、黒船来航を機に国論が割れて開国に傾く幕府と反幕派(尊皇攘夷派)が対立しました。
反幕派も開国に傾きました。
反幕派は戊辰戦争で幕府を滅ぼしました。
「大政奉還」と「王政復古の大号令」によって「征夷大将軍」が廃され、政権は名目的には朝廷に戻りました。この後を近代といいます。
武家政治は自分たちのための政治でした。近代の政治は国民全体のための政治なのです。近
・
現
代●新政府ができました。(明治維新) その後近代国家の建設を進めます。
経緯:新政権の名目は朝廷政治でしたが古代的政権ではあり得ず、間もなく憲法や国会が作られます。
その後はすぐには民主主義が熟せず富国強兵へ向いますが、第二次世界大戦後には先進的民主主義国家の一員となります。
基本的なこと
●貴族とは豪族の中から抜きん出た王家(皇族)とそれを取り巻く有力な一族で、全人口のほんの一握りです。
元々古代の権力の源泉は「宗教・富」といったものでしたが、地位の世襲によりそれが「血統」という概念に変質したのです。
飛鳥時代にはすべての耕作地を原則として公有として人民に分配し税を取りましたが、やがて貴族たちは土地を私的に支配していきました。(荘園・公領)貴族(公家)政権は原理的に血統によって資格を保証されていましたのでその分の努力や工夫は必要ではありませんでした。
貴族も統治する者の資格や責任について口にしましたが、それは決定的なものではなく、建前のようなものでした。
民衆は意味も分からず盲目的に統治に従うほかはありませんでした。●武士とは、公的な治安維持軍が廃された平安時代に、以前から方々に存在した、兵(つわもの)、武人の家系に属する人々が、最初は個々に領主に雇われ、やがて自ら組織化し、また領主自身となっていったものです(古代)。
後に生まれた武家政権は、最初は貴族(朝廷)からの任命で政治の半分を任されたという体裁を取っていましたが、徐々に貴族等の荘園・公領の権利(税の取り分)を奪い取っていき、政治的な力を増していきました(中世)。
その後政治の実質を独占し、荘園・公領を解体して、支配する土地の一元的な領主となりました(近世)。武家政権は武士階層をまとめるものです。自らの努力と工夫によって武士階層の支持を得なければ滅亡に至りました。
武士の行動原理は「自力救済」(自分の力で運命を切り開くこと)です。
民衆は権力の由来が「実力」であり、政治の上での努力や工夫というものに意味があることを理解しました。将軍→大名・御家人→家臣のように上位権力者が下位の権力者に土地を与えて忠誠を求める支配制度を封建制といいます。(「封」は土盛り・領土の意。「建」は国や諸侯を建てるの意。)中世と近世は封建時代とも言えます。
●国民政治は国民に選ばれた代表がその付託により法の下に行政を行います。国民政治が進歩したものが民主政治です。
土地はすべてその所有者に対して政府が公平に課税します。政権は選挙によって選ばれるので国民の支持を得る努力が不可欠です。
民衆は自らが権力の一分子であるべきものだと理解しています。
高校生の皆さんにはここまでのところをしっかり理解していただきたいと思うのですが、現実には学校ではあまりにもたくさんのことを習うので、このような流れの認識の大切さにまで思い至らないのが実情だと思います。学校教科書のあり方にも工夫の余地がありそうです。
ここまでの簡単まとめ
古代 中世 近世 近代 豪族・貴族による政治 名門の武士による政治 勝上がった武士による政治 大和
(古墳)飛鳥 奈良 平 安 鎌 倉 建武
新政室 町 安土
桃山江 戸 明治 大
王
∧
天
皇
∨
中
心
の
∧
大
和
政
権
∨蘇聖中 藤 摂武院平
我徳央 原 関士政氏
氏太集 氏 政発 政
の子権 の 治生 権
専の∧ 専
横改大 横
革化
改
新
・
律
令
国
家
∨名北元天
門条寇皇
の氏 の
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いま、歴史上で政権の主体の移り替りに影響を与える動機は次の二つだと考えてみましょう。
A 政権層内部勢力同士の争い
B 政権層外部勢力からの挑戦すると上に述べた歴史の動きはどれがAでどれがBに当たるでしょうか。そしてそのような動きが起きたのはなぜなのでしょうか。
このように考えてみると日本史の流れがよく理解できるようになります。もう一つ、その後も長い間古代的専制が続いたアジア地域の中にあって、なぜ日本が早期にそこから脱却でき、また西欧の植民地化をも免れることができたのでしょうか。それを考えるのも日本史の一つの大きなテーマです。
(なんだか騙されたなあ、どんどん難しくなってきたなあ、と思ってる人、それは勘違いです。ぜんぜん難しくなってないです。あと1時間頑張れば楽しいお昼ごはんですしね。)