代表的なご質問への回答のみを掲載しました。

●「勉強法」というご質問への返答

 「勉強法」とは何でしょう。
 「勉強法を教えて下さい。」などと書くべきではなかったでしょうか。国語の勉強なのですから、文章はしっかりと最後まで書くことを習慣にしてください。

 さて、「やまなし」について勉強するには、まず教科書の文をゆっくりと呼んで、それからこのサイトの解説をゆっくり読んで、それからもう一度教科書の文をゆっくり読みましょう。
 「ゆっくり」というのが大切です。

●「『クラムボン』とは何ですか」というご質問への返答

 『クラムボン』とは何でしょう。

 きっと作者の頭の中にはちゃんとした名前があったのでしょうが、それをそのままはっきりと書いてしまうと、「ものがたり」ではなくなってしまうと考えたのかもしれません。
 魚たちと同じように、生きた登場人物?として扱うためにこういう名前を与えたのではないでしょうか。

●「魚が上流と下流を行ったり来たりする意味は何ですか」というご質問への返答

 魚はのぼるときは懸命に、戻るときはゆったりしているようです。そして兄の蟹は魚が「何かわるいことをしてるんだよ、とってるんだよ」と言っています。
 魚は餌をとって食べるために行ったり来たりしているのではないでしょうか。兄の蟹はそのことを悪いことだと思っているようです。
 もしその餌がクラムボンなら、食べられてしまうのに笑ったことになります。食べられるのが嬉しかったのでしょうか。

●「『かわせみ』は何を表しているのですか」というご質問への返答

 カワセミは子ガニだけでなく川の生き物たちにとって恐ろしい存在です。
 でもカワセミはどうして生き物を取って食べるのでしょう。
 他の生き物を取って食べるのはカワセミだけでしょうか。
 他の生き物はみんなカワセミと違う生き方をしているのでしょうか。
 こう考えてみましょう。すると生き物たちの世界の仕組みが少し分かってきます。

 この世の中は楽しいことばかりではありません。恐ろしいことや苦しいことや、こんなもの無ければいいのにと思うことがたくさんあります。でもそれらの嫌なことも、よく考えてみると実は・・・・
 カワセミはこう考えるきっかけとなってくれているのではないでしょうか。

●「最後にちょっと出てくるだけなのになぜ『やまなし』が題名になったのですか」というご質問への返答

 このものがたりにはいろんなものが出てきますが、作者はその中でいちばん大切なものを題名にしたのだと思います。

 生き物が他の生き物を食べてしまうことは、そのことだけを考えるととても恐ろしくて悲しいことです。でも、それはただ恐ろしくて悲しいだけのことでしょうか。
 ヤマナシの実のことを考えてみてください。木から落ちて腐っていく(死んでいく)のはただ無駄になって消えていくだけなのでしょうか? 「おいしいお酒」の説明を読んでよく考えてみましょう。
 そうです。生き物たちの世界がそんな風にできあがっているのだと分かれば、カワセミが魚をおそったのも、ただ恐ろしくて悲しいだけのできごとではないことに気付きます。そうすると、ヤマナシは生き物たちの世界(私たちの住んでいる世界でもある)の仕組みについてとても大切なことを教えてくれていることになりますね。
 作者はそのことを考えると、ヤマナシを本当の主人公にしたくなったのではないでしょうか。

 「食物連鎖」という言葉を調べてみましょう。

●「作者はなぜ『やまなし』を書いたのですか」というご質問への返答

 宮沢賢治という人は、生き物が生きていくということは別の生き物を殺していくということだと考えて、とても悲しんでいたのです。また、例えば自分の愛する妹など、死んだ者がこの世から消えてしまうということの恐ろしさにも大変苦しんでいました。でも、この世界の全ての生き物たちが決してばらばらの存在ではなくて、どの命もみんなつながって大きな一つの仲間として生きているのだと思いついたら、その悲しみと苦しみがやわらいだのではないでしょうか。
 作者はこのことを物語に書いてみたいと思ったのだと思います。

 同じ作者の「よだかの星」「なめとこ山のくま」「注文の多い料理店」も読んでみてください。それぞれ「やまなし」と読み比べるとどう感じるでしょう。

●「主人公は誰ですか」というご質問への返答

 主人公はカニの兄弟です。これははっきりしています。
 でもあなたはなぜこんな簡単な質問をしたのでしょう。

 本当は、「この作品の主人公はカニの兄弟だけれど、この主人公に負けず劣らず大切な役割を果たしているのは何ですか。」という質問のしかたの方が良かったでしょうね。
 それではその答えは何でしょう。それは作品をじっくりと読むことによって自然に分かってくるものなのですから、よく考えてみてください。

●「五月と十二月の対比がよくわかりません」というご質問への返答

 細かく全ての違いを見つけるまで頑張る必要はありません。
 明るい・・・暗い
 活発・・・静か
 ・・・・・・
 他にもいろいろあるでしょうが、季節や川の中の様子は時によって全く反対に感じられるものなのです。
 そしてそのどちらも嘘や間違いではなく、どちらも自然の本当の姿なのです。そしてどちらにも日光と月光という天の恵みが降りそそいでいます。
 五月と十二月を比較してそのことに気付けばこの問題を考えた意味があったということになります。

 五月は明るいのに「死」を含んでいるし、十二月は暗いのに「未来」を感じる、ということも面白いですね。この世界のようすはどんな場面であってもただ簡単に一言では言い表せないいくつもの意味を持っているのだということに気付きましょう。

●「五月と十二月をひと言ずつで表すと、「生-死」なのですか、「死-生」なのですか」というご質問への返答

 五月にはクラムボンや魚が死にます。でも生き物たちはみんな生き生きとしています。十二月は辺りは死んだように静かです。やまなしの実もゆっくりと死んでいくのですが、でもこのあと小さな生き物やカニたちを生かしてくれるのです。
 さあ、五月と十二月を簡単に反対の言葉ひと言ずつで表せるでしょうか。

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