丑(うし)

 
十二支の中で2番目に数えられる。前は子、次は寅。
西暦を12で割って5が余る年が
丑年となる。ただし紀元前は8が余る年。
年を干支で表すときの信頼できる基準は漢の太初暦が公布された紀元前104年で、この年が丁丑であった。

十二支の順番についての伝承:
むかし神様が十二支の動物を決める際、家の門の前に来た順番に決めることにした。牛は動きが遅いからと真っ先に出かけて一番に門の前についた。しかし門が開けられる瞬間、牛の頭の上に乗っていた鼠が牛の前に飛び出たので、鼠が一番、牛が二番になったという。

丑の月は旧暦12月(概ね新暦1月ごろ)。
丑の日は
日の十二支で調べられる。
丑の刻は午前2時を中心とする約2時間。「丑三」(うしみつ)は、丑の刻を4分し、その第3に相当する時、すなわち、午前2時頃から午前2時30分頃までであり、俗に、草木も眠るとか、家の軒が3寸下るとか言い、魔物が跳梁するのにふさわしい時であると考えられた。
丑の方は北東よりやや北寄りの方角。時計の文字盤の1時方向。

「丑」の字は、元々手でものを取ることを示す形象から。意味は、はじめ、むすぶ、手かせ。
『漢書』律暦志によると「丑」は「紐」(ちゅう:「ひも」「からむ」の意味)で、芽が種子の中に生じてまだ伸びることができない状態を表しているとされる。また、指をかぎ型に曲げて糸を撚ったり編んだりする象形ともされる。十二支に充てられ、後に覚え易くするため動物の牛が割り当てられた。

丑の刻参り、丑の時参り(うしのこくまいり、うしのときまいり)とは、丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込むという、日本に古来伝わる呪術の一種。典型では、嫉妬心にさいなむ女性が、白衣に扮し、灯したロウソクを突き立てた鉄輪を頭にかぶった姿でおこなうものである。連夜この詣でをおこない、七日目で満願となって呪う相手が死ぬが、行為を他人に見られると効力が失せると信じられた。ゆかりの場所としては京都市の貴船神社が有名。丑の時詣で(うしのときもうで)、丑参り(うしまいり)、丑三参り(うしみつまいり)ともいう。

土用の丑の日(どようのうしのひ)は、土用の間の丑の日である。
夏の土用の丑の日のことを言うことが多い。夏の土用には丑の日が年に1日か2日(平均1.57日)あり、2日ある場合はそれぞれ一の丑・二の丑という。

日本で暑い時期を乗り切るために栄養価の高いウナギを食べるという習慣は万葉集にも詠まれている。土用の丑の日に食べる習慣となったのは、文政5年(1822年 - 1823年)当時の話題を集めた『明和誌』(青山白峰著)によれば、安永・天明の頃(1772年 - 1788年)よりの風習であるという。
その由来には諸説あり、平賀源内が発案したという説が最もよく知られている。平賀源内は安永3年(1774年)に出版された『里のをだまき評』で、「土用の丑の日に鰻を食べると滋養になる」と記述した。これをきっかけに、鰻の蒲焼きが広く売れるようになったという。源内説は細かなバリエーション違いがあるが、要約すれば「商売がうまく行かない鰻屋(知り合いの鰻屋というパターンもある)が、夏に売れない鰻を何とか売るため源内の元に相談に赴いた。源内は、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。すると、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着した」というもの。丑の日と書かれた貼り紙が効力を奏した理由は諸説あり定かではないが、一説によれば「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という風習があったとされ、鰻以外には瓜、梅干、うどん、うさぎ、馬肉(うま)、牛肉(うし)などを食する習慣もあったようだが、今日においては殆ど見られない。



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干支とは

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