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歴史的仮名遣ひ学園 学長室

 ただいま学長は留守にしてをります。行き先は分かりませんが、学内であれば学友会館かもしれません。
 金策であれば暫くは戻りません。(最近塞ぎこむことが多くなつてをります。)
 学習に関する質問は非常勤講師室または学生ラウンジへ、学園運営事務については学生課へお願ひいたします。
 その他に関してでしたらよろしければ伝言を承ります。(学長秘書)



学長メッセージ

 みなさん、ようこそ当学園にご入学下さいました。 当学園の授業内容は質、量、易しさ、楽しさ、いづれも十分な水準のものと自負してをります。どうぞ素晴らしい歴史的仮名遣ひの世界をご堪能ください。なほ、すでにある程度の知識をお持ちの方には直接卒業試験・認定試験より学位取得されることをお勧めします。

最近の所感

 習得者全国分布図においてつひに日本海側に足跡が印されました。しかし大都会の京都が空白なのが気がかりでなりません。我が身の不徳の致す所に他ならず、今後もひたすら精進に励む覚悟です。なほ、太平洋側各県を差し置いての富山県の躍進ぶりには瞠目させられてをります。
 また、最近は国立大学の現役学生らしき方の入学が増えてゐるやうにも感じてをります。

 (その後、順調に地図が埋まつてゐるのは喜ばしいことです。)

最近のご質問に対する回答

 歴史的仮名遣ひの精神は、「今自分が発音する通りに書くのではなく、元々書かれた通りに書く」ことだと思ひます。
 具体的には、「ゐ、ゑ」の使用、「ぢ、づ、を」の一般化、ハ行転呼と長音化転呼の適用、などといふことになります。
 では

 「いひへ、さふではなひと思ゐます。」

 のやうな文章をどう考へればよいでせうか。
 もちろんこれは正しい仮名遣ひではありません。しかし少なくとも上に書いたやうな精神を体現しようとする意識だけは認められると言へます。
 実は明治に入るまでは多くの人がこれと似たやうな仮名遣ひをしてゐました。訳は分からないなりに、昔から書かれて来たやうな感じに書けばよいのだな、といつた意識であつたのではないかと思ひます。少なくとも文字が読める人々には「ひ、ゐ」は「イ」と読み、「さふ」は「ソー」と読むなどといふことは空気のやうにごく自然に受け入れられてゐたでせう。このやうな意識は日本人にとつての長い歴史的伝統でした。
 今、

 いひへ、さふではなひと思ゐます。

 といふ文章を見るとき、仮名遣ひとして正しくないと見るか、あるいは伝統的意識の具現化の一種であると見るか、どちらも可能と言はなければなりません。
 「歴史的仮名遣ひ」といふ言葉は、現在一般的には、もちろん定義された狭い意味で使はれることもありますが、それ以外に江戸時代以前のそれらしい仮名遣ひをもひつくるめて漠然と使はれることがあります。その後者の意味で言へば上の文は歴史的仮名遣ひであると言つてよいでせうし、たとへそれが悪ふざけに近いものであつたとしても、伝統的意識の具現化の一種であると見ることが可能である以上、ただの無意味であると斬つて捨てることはできません。

 現代では一般学校教育において歴史的仮名遣ひの書き方が教へられてゐるわけではありませんし、また日常的に周囲にお手本があるわけでもありませんので、現代人と歴史的仮名遣ひとの距離は江戸時代の庶民のそれとは比較にならないほど大きいのです。そんな中にあつて、訳は分からなくても「昔から書かれて来たやうな感じに書けばよいのだな」と考へる意識は歴史的仮名遣ひの精神そのものにとても近いものです。この意識がどんな形にせよ顕されてゐるのであれば相当の肯定的評価を与へられてもよいのではないでせうか。 (但し、試験では通用しません。念の為。)

 私が「歴史的仮名遣ひ」を自らの"仕事"とすることとなつた理由は、今思ふと次のやうなことからではなかつたでせうか。
 若い時にある近代文学作品について論じたとき、その原文の仮名遣ひの部分的疑問を調べてゐると、子供の時に家にあつた雑誌類を読み耽つたたくさんの思ひ出がありありと甦つてきて、とても幸せな気持ちになりました。そして次々と調べるそのうちに、歴史的仮名遣ひによる文章は自分でも十分に書けるのだと確信するやうになつたのでした。さうなるともう理屈ではなく、日本語は歴史的仮名遣ひでなければ日本語とは思へないといふ大きな気分に包まれてしまつたのでした。


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