東海道中膝栗毛

 江戸時代の仮名遣い(4)

 江戸時代に至っても教養人の綴る日本語においては、文法に裏打ちされて容易に根拠の知れる部分については仮名遣いの原型は比較的よく保存されていました。それ以外の部分については定家仮名遣いや契沖仮名遣いという字典を拠り所とする人もいましたし、自己流に書く人もいました。
 (なお、定家仮名遣いに従った文章と契沖仮名遣いに従った文章には構造的な違いというほどのものはなく、ふつうの文章であればオ、エ、イの音について稀に異なることがある程度のもので、現代の我々から見ると殆ど同じ印象のものです。多くの著作ではどちらの仮名遣いに拠って書かれたものか判断をつけることができません。)
 参考:
江戸時代の仮名遣い(1) (2) (3) (5)

 ところで、「読み書き」とは江戸時代に入るまで一般的には知識人の専有物でした。それが寺子屋などによる教育が普及するにつれて文章を読み書きする庶民は爆発的に増え、またその仮名遣いはどんどん不徹底となっていきました。一般庶民の書く手紙などの文では決まった仮名遣いというものはなかった状態です。
 また江戸時代は一般庶民向けの出版文化が花開いた時代でしたが、中でも「戯作」と総称される通俗的内容を持つ多くの出版物ではある程度意識的にか、そのようないかにも一般庶民のものらしい奔放な仮名遣いが使用されました。その実態は下記に見るようなもので、は行の仮名やわ行の仮名、その他を織り交ぜ、適当に「伝統的らしさ」を出していることが分かります。少し歴史的仮名遣いについて知っていればすぐに違和感が生じるでしょう。

参考模式図

青枠は成文仮名遣いが収録している範囲を示す。
濃色地は歴史的仮名遣いに一致する部分、薄色地は異なる部分。

  歌壇の表記     国学者の表記
         
世間一般の仮名遣い

 一般教養人の実際   無学者の実態

参考:定家仮名遣い、契沖仮名遣い、歴史的仮名遣い、現代仮名遣い

東海道中膝栗毛の仮名遣い

 「東海道中膝栗毛」は奔放な庶民仮名遣いによる会話が多用された滑稽本の代表的なものです。
 以下の引用部分でまず注目すべきは、は行動詞の活用表記がは行で一貫していないこと、および「白ひ、良ふ」など形容詞のイ音便、ウ音便がは行で記されている例があることです。つまり仮名遣いの基本的構造が崩れているのです。他に目立つのは語頭以外の「エ」音を、延ばす音も含めてほとんどすべて「へ」で済ましていること、オ段の長音は由来に関わらず和語では「お段の仮名+ふ」としていること(漢語では「お段の仮名+う」、漢語のオ段の長拗音は「い段の仮名+やう」)、感動詞にはカタカナの「ヱ」と「ヲ」、終助詞には「ハ」を当てていることなどです。他は概ね不徹底または恣意的といってよいでしょう。これはもう「広義の歴史的仮名遣い」とも言い難いもののようです。文語に近い文体の地の文だけに注目してみても、仮名遣いの位相は他の会話部分と大きく変わりません。文体に関わらず奔放な仮名遣いが行われているのです。

 しかしここでもうひとつ留意すべきことがあります。この時代には口語の発音はすでに現代と同じになっていたにも関わらず、ハ行転呼・長音化転呼を当然の前提とした仮名遣いが行われているのです。つまり仮名は、庶民が読み書きするものであっても、決して発音のままには書かれなかったのです。庶民の読み書きがかつてなく広範に普及した江戸時代においても、仮名を「今発音する通りの仮名で書くのが正しい」とは考えられていなかったのでした。
 下の引用では発音通りでない書き方のうち歴史的仮名遣い(字音仮名遣いを含む)に一致する仮名を
青太字、歴史的仮名遣いと異なる仮名を赤太字で示しました。

 現代の我々が現代仮名遣いの転呼に何の抵抗も感じていないように、江戸時代の人々はこのような仮名遣いの文を現代と同じ発音でスラスラよみました。そして普段手紙などを書くときにはちゃんと読めればどの仮名を使っても特に問題はないと考えていたようですが、その一方で前に見た「方丈記」「徒然草」など、手本の通りの仮名で写さなければ寺子屋の先生に叱られるというような固いものもあるのだという意識はあったと思われます。

 「東海道中膝栗毛」(1802以降)。十返舎一九作の滑稽本。江戸庶民に好評を得て続編が長期にわたって書き継がれました。
 岩波文庫「東海道中膝栗毛 上」から、小田原の五右衛門風呂騒ぎのあたりを引用します。仮名遣いは江戸時代刊行の原文通りですが仮名の字種は標準体に改めてあります。振り仮名部分は省略しました。

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*    *    *

やがてやどやつきければ、てしゆさきかけだしてはいりながら

「サアおとまりだよ。おさんおさん。お湯とつてあげろ

宿の女「おはやうございます

ト茶ふたつくんでもつてくる。此内下女たらに、ゆいれてもつてくると、弥二郎女のかほをよこめに、ちらと見て、子ごに北よびかけ

弥二「見さつし。まんざらでもね

北「あいつ今宵ぶつてしめ

弥二「ふてことぬかせ。おれがしめる

北「ソレおめ、わらもとかずに足

弥二「ヤほんに。ハヽヽヽヽ

北「ヽでなしに、湯まつくろにした

トこゞといゝながら、あしあら、すぐにざしきると、女柳ごりさんどがさもちきたり、とこの間におく

北「コレコレ女中。たばこぼんに火いれてきてくんな

弥二「ヤてめもとんだことをいふもんだ

北「なぜなぜ

弥二「たばこぼんいれたらこげてしまア。たばこ盆の中にある、火入のうち、火いれてこいといふもんだ

北「ヽおめも、詞咎するもんだ。それじやア日の短い時にやア、たばこのまずににやアならね

弥二「ときに腹がきた山だ。今飯たくすだ。埒のあかね

北「コレ弥次さん、おいらよりやアおめ文盲なもんだ

弥二「なぜ

北「めしたいたら、粥になつてしまうわな。米焚といばいゝに

弥二「ばかアぬかせハヽヽヽヽ

ト此内女たばこぼんもつてくる

北「モシあねさん。湯がわいたらへりやせう

弥二「ソリヤ人のことをいふ、うぬがなんにもしらねな。湯がわいたらあつくてはいられるものか。それも、水が湯にわいたら、へりやとぬかしおれ

此内又やどのおんな「モシおゆがわきました。おめしなさいませ

弥二「イ水がわいたか。ドレはいりやせう

トすぐに手ぬぐひをさげ、ふろばゆきて見るに、このはたごやのてしゆ、かみがたものとみて、すいふろおけ、上がたにはやる五右エ門風呂といふふろなり。左にあらす図のごとく、土もつてかまつきたて、そのうへゝ、もちやのどらやきやくごときの、うすぺらなるなべかけて、それにすいふろおけきけ、まゆのもらぬに、しつくもつて、ぬりかためたる風呂なり。これゆわかすに、たきゞ多分にいらず、りかただいいちのすいふろなり。くさつ大津あたりより、みな此ふろ也、すべて此ふろに、ふたといふものなく、底板うにうきているゆ、ふたのかりにもなりて、はやくゆのわくりかた也。湯に入とき、底めてはいる。弥二郎このふろのかつてしらねば、そこのういているふたとこゝろ、何ごゝろなくとつてのけ、ずつとかたあしふんごんだところが、かまがじきにあるゆ大きにあしやけどして、きもつぶし

弥二「アツヽヽヽヽ、こいつとんだすいふろだ

トいろいろかんが、これしてはいるのだときくもばかばかしく、そとであらながら、そこら見れば、せつちんのそばに、下駄があるゆ、こいつおもくろいと、かのげたはきて、ゆのなかはいり、あらつていると、北まちかねてゆどののぞきみれば、やうるり

弥二「おはんなみだのつゆちりほども

北「ヽあきれらア。りで長湯だとおもつた。いゝかげんにあがらね

弥二「コレちよつと、おれが手つて見てくれろ

北「なぜに

弥二「もゆだつたかしらん

北「いゝきぜんな

トざしきはいる。此内弥次郎ゆからあがり、かのげたかたかげかくし、そしらぬかにて

弥二「サアへらね

北「ツトしめた

はだかになり、いちもくさんに、すいふろかたあしつゝこみ

北「アツヽヽヽヽヽ、弥次さん弥次さん、たいへんだちよつときてくんな

弥二「しい、なんだ

北「コレおめこの風呂へは、どしてはいつた

弥二「馬鹿め。すいふろはいるに、別にはいりが有ものか。先そとで金玉よくあらつて、そして足からさき、どんぶりこすつこつこ

北「ヽしやれなんな。かまがじきにあつて、これがはいられるものか

弥二「はいられりやアこそ、手めの見たとり、今までおれがはいつて

北「おめしてはいつた

弥二「ハテしつこいおとこだ。水風呂はいるのに、どしてはいつたとなんのことだ

北「ハテめん

弥二「むつかしいこたアね。初めの内ちつとあついの、しんすると、後によくなる

北「ばかアいゝなせ。しんしてるうちにやア、足がまつくろにこげてしま

弥二「ゝ埒のあかね男だ

ト心の内おかしさこたられず、ざしきる。北八いろいろとかんが、そこら見廻し、弥二郎がかくしておいたる下駄見つけて、ハヽアよめたと、心にうなき、すぐにその下駄はいて、すいふろのうちはいり

北「弥次さん弥次さん

弥二「なんだ又呼か

北「なるほどおめいふり、入しめて見るとあつく。アヽいゝこゝろもちだ。あれなるかな石レレンレレン

此内弥二郎あたりみれば、かくしておいたる下駄がなきゆ、さてこいつみつけたなと、おかしくおもつているうち、北八さすがにしりがあつく、たつたりすわつたりいろいろして、あまり下駄にてぐはぐはとふみちらし、つにかまのそこふみぬき、べつたりとしりもちつきければ、湯みなながれて

北「ヤアイたすけぶねたすけぶね

弥二「どしたどした。ハヽヽヽヽヽヽ

やどのてしゆこのおとにおどろき、うら口よりゆどのり、きもつぶし

亭主「どなさいました

北「イヤモ命に別条が、かまのそこがぬけてアイタヽヽヽヽヽ

主「コレハ又どしてそこがぬけました

北「ツイ下駄で、ぐはぐはやつたから

いふに、てしゆふしぎそに、北八があしみれば、下太はいているゆ

「イヤアおまい、とほもないお人だ。すいふろはいるに、下駄はいてはいるといふ事があるものでございますか。らつちもないこんだ

北「イヤわつちも、初手はだしではいつてみたが、あんまりあついからさ

「イヤはやにがにがしいこんだ

ト大きにはらたてる。北八もきのどくさ、こそこそとからだふいていろいろいゝわけする。弥次郎きのどくにおもければ、中はいり、かまのなしちん、なんり一ぺんつかし、やうやうとわびことして

 水風呂の釜ぬきたる科ゆにやど屋の亭主尻よこした

北「いめ
ましい

トおもがけなく弐朱ひとつぼにふつて、大きにふさぎいる。此内膳も出、そこそこにくつてしまい、しやれもむだもいつかうず、たゞぼぜんとだまりんなり

弥二「コレ手め
、なにもふさぐこたアね。大きに徳した

北「なにがとくだ

弥二「かま
ぬいて、弐朱でやすい。よし町いつてみや、そんなこつちやアね

北「
ヽぶしやれなんな、人の心もしらずに

弥二「イヤそれでも手め
がそんなにしていると、おらアきのどくな事がある

北「なにが

弥二「さつきの女が後に忍んでくるは
に、ふくつておいたから、側で手めが気わるくして、なの事ふさぐだろと、それがどもきのどくだ

北「
ヤほんにか、いつのまに約束した

弥二「そんなことに、じよさいのあるのじやアね
。さつき手めが湯はいつている時、げんなまでさきおつとめ渡しておいたから、も手つけの口印までやらかしておいた。なんときついもんか、へヽヽヽヽヽ。そいつても色男うるせの。ハヽヽヽヽ、もねよ

ト手水にたつて行。此内女きたりとことる

北「コレあねさん。おめ
おらが連の男になにか約束したじやアね

女「イヽ
ヱヲホヽヽヽヽ

北「イヤわら
ごとじやアね。コリヤアないしのことだが、あの男瘡かきだから、うつらぬよにしなせ。おめがしよつて、きのどくだから言つてきかすが、かならずさたなしだよ

ひそひそものでまことらしくいば、女きもつぶせしよすに、北八にのり

そして足
年中雁瘡で、なんのこと、乞食坊主の菅笠見るよに、所々に油紙のふたがしてある。それに又アノ男の胡臭のくさゝ、そのくせひつこい男で、かりついたらはなしやアしね。めんよアノかさつかきといふもの、口中のわるくさいもので、おいらもならんで飯くうさ、いやでならねがしかたがね。おもいだしてもむしがはしる。ペツペツ

ト此内はや弥二郎てうずより出てくるよすに

女「もおやすみなさいませ

トそたつて行。弥二郎ざしきはいり、すぐによぎかぶつて

弥二「ドレふところ
、あつためておいてやろ

北「いめ
ましい。こんやのよにうまらねこと。やけどして弐朱かねふんだくられる。そのう、アノうつくしいやつ、そばで抱てねられて、ほんにふんだりけたりな目に

弥「へヽヽヽ、かんにさつし。こんやアちつとうけにくか
らう。ちくるいめ、こたられぬ、ハヽヽヽヽヽ。コレ北八、も手めねるか。もつとおきて

北八いさいかまわず

北「ゴ


弥二「も
きそなもんだ

トひとりまじくじして、まてどもまてどもおともなし。なま中さきぜにやつて、ぼにふるかと気がきでなく、こらかねてむしやうに、手たゝきたてると、やどやのかみさまきたり

女房「およびなさいましたか

弥二「イヤおめ
わかるめ。さつきこゝの女中に、ちつと頼んでおいたことがあるから、どぞちよつとよこしてくんね

女房「ハイあなた方のほ
うへ出ました女、雇人でございますから、も宿帰ました

弥二「
ヽほんにか。そんならよしよし

女房「ハイお休なさいませ

トかつてゆく

北「ハヽヽヽヽヽヽワハヽヽヽヽヽヽ

弥二「べらぼ
め何がおかしい

北「ハヽヽヽハヽヽヽ、イヤこれで地にした。も
安堵してねよ

弥二「かつ手にしやアがれ。

ト哀なるかな弥次郎兵、北八が姦計と露しらず、弐百恋しやうらめしのおじやれか無晒落かあたら夜、是非なくころりとつつぷしければ、北八おかしく又一首

 ごま塩のそのからき目
見よとてやおこわにかけし女うらめし

彼是興じてふしたりけるに、はやくも聞ゆる遠寺のかねに、一睡の夢覚て、夜明ければやがておき出、そこそこに支度して立出けるに、けふは名に箱根八里、はやそろそろと、つま上りの石高道たどり行ほどに、風まつりちかくなりて弥次郎兵

 人のあしにふめどたゝけど箱根やま本堅地なる石だかのみち

北「コレコレ明松か。こゝの名物だ

弥「べらぼめ。も日の出る時分、明松がナニいるものか

北「夜があけてもいゝな。おめかつてとぼせばい、ゆべのかわりに

弥「おきやアがれ

北「ハヽヽヽヽハヽヽヽヽ

又こゝに湯本の宿といふは、両側の家作きらびやかにして、いれの内にも美目よき女二三人ヽ、店さきに出て名物の挽もの細工あき。北八壱軒壱軒にのぞき見て

北「ヤあら粉のかんばん見るよに、顔と手さきばかり、しろ女がらア

弥「なんぞ買をふ

娘「おみやげおめしなさいませ。おはいりなさいやんせ

弥「コあねさん。そこにあるもの見せなせ

いふにむすめ、又外のきやくと、あい手になつてあきなしている。かつてよりばゞあ、はしりいで

ばゞ「ハイハイこれでおんざりますか

ばゞアでふしちのかつきにて

弥「それじやアね。コ姉さんそつちのみせな

ばゞ「ハイハイこれでおんざりますか

弥「ヽそれでもね。コあねさん、おめの手にもつているなんだ

娘「ハイハイおたばこ入でおざりやんす

弥「コレコレこのことさ。時にいくらだ

娘「ハイ三百でおざりやんす

弥「百ばかりにしなせ

娘「おまいさんもあんまりな。あなた方のおかげで、かやうにいたしておりますもの、かけねしやんせぬ

ト弥次郎じろりとみる。たちまちのろくなりて

弥「そんなら二百よ

娘「もちつとおめしなさつて下さいやせ。ホヽヽヽヽ

トねつからおかしくもないことわらつて、弥次郎がかほを又じろりとみる

弥「そんなら三百三百

娘「もそつとでござりやんす。ホヽヽヽヽ

弥「めんどな四百四百

ト壱本ほり出してかい取

北八サアい

娘「よお出なさいやんした

北「ハヽヽヽヽ、三百のもの、四百に買うとあたらしいあたらしい

弥「それでもおしくね。アノ娘よつぽどおれに、きがあつたとみ

北「おきやアがれ。ハヽヽヽヽ

弥「それでも初手から、おれが顔ばかり見ていた

北「見ていたはだ。アノ娘の目見たか。やぶにらめだ。ハヽヽヽ

こゝにいがぐりあたまの子供四五人

子供「権現様御代参、壱文やつて下されチヤ

北「ナニ御代参となんだ

子供「こんたしゆのかりに参る

北「ナニおいらがかわりに。い見ても山家そだち、身がりにするつらがあるものか。ろくなくびひとつもない。イヤ時にアノ鉦なんだ

弥「さいのかきたぞきたぞ

 辻堂さすがにさいのから屋根されども鬼ぬ極楽

 お茶漬のさいのからの辻堂ににしめたよななりの坊さま

それより御関所打過て

春風の手形あけて君が代の戸ざゝぬ関こゆるめでたさ

斯祝して峠の宿に悦びの酒くみかしぬ

*    *    *


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