現代仮名遣い表記

古今和歌集仮名序

 「古今和歌集」(西暦九一三年頃)は最初の勅撰和歌集。漢文で書かれた真名序と仮名で書かれた仮名序が付属してゐます。
 平安時代初めの唐風文化全盛から、和歌、和文、大和絵、物語、日記などに代表される和風文化興隆への移行期に古今和歌集は生まれました。
 仮名序は紀貫之によるもので、従来漢字に比較してマイナーで低い位置づけにあつた仮名が言はば公文書の序文に公然と用ゐられたことは、仮名および仮名書き文の地位向上を示すものです。日本語を仮名で表記することの意義に対する貫之の意気込みは後の土佐日記冒頭の「男もすなる日記といふものを女も・・・」の一節にも読み取ることができます。
 貫之自筆の原本は現存しないので用ゐられた字種、細かい字体は明らかではありません。
 冒頭の部分のみを次に示します。(当時は清音と濁音が区別せずに書かれました。)

やまとうたはひとのこゝろをたねとしてよろつのことのはとそなれりける
よのなかにあるひとことわさしけきものなれはこゝろにおもふことをみるものきくものにつけていひいたせるなり
はなになくうくひすみつにすむかはつのこゑをきけはいきとしいけるものいつれかうたをよまさりける
ちからをもいれすしてあめつちをうこかしめにみぬおにかみをもあはれとおもはせをとこをむなのなかをもやはらけたけきものゝふのこゝろをもなくさむるはうたなり


 正式な文章としては漢字ばかりの文が幅を利かせてゐた当時の人々、特に知識人にとつて、仮名で書かれた日本語のこの柔らかく伸びやかな感じは相当新鮮なものであつたでせう。

 紀貫之はこの仮名序の最後に次のやうなことを言つてゐます。
 「我々がこの時代に生まれて和歌集撰集のことに当たれたのは嬉しい。たとへ長い時間が経つて人の喜び悲しみが変転しても、将来、歌の心を知る人々は大空の月を見るがごとくにいにしへを仰いで今のこの時代を恋うてくれるであらう。」

 明治以降、西洋文明に接した日本人が日本語を捨ててフランス語に帰依しようとしたり、仮名と漢字を捨ててローマ字化しようと考へたりしたことがあつたことを思ふと、貫之のこの素朴ながら高邁な予言と願望と期待とは際どいところでなんとか成就してゐるのだと言へさうです。

参考
大和歌は人の心を種として万の言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、事業繁きものなれば心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひ出だせるなり。
花に鳴く鶯、水に棲む蛙の声を聴けば生きとし生けるもの、何れか歌を詠まざりける。

力をも入れずして天地を動かし、見に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をも柔らげ、猛き武士の心をも慰むるは歌なり。

や行の「え」。( 」の字母漢字は「江」。)(参照


 土佐日記

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