仮名遣切替

補講201教室

特別授業:定家仮名遣い、契沖仮名遣い、歴史的仮名遣い、現代仮名遣い


定家仮名遣い

 1.歌人藤原定家は鎌倉時代初期の1210年代頃から個人的に一部の仮名遣いの混乱を正そうと企図し始め、その後『下官集』に好ましいと考える仮名遣いの例を示した。
 それは「い、ひ、ゐ」「え、へ、ゑ」「お、を」についての使い分けを七十数語について示しただけのものであったが、うち十五語は由緒正しいものではなかった。根拠とした平安時代の文書が十分に古いものでなかったために完全な使い分けの実態を認識することができず、また、「お」と「を」の使い分けの多くをアクセントの低高によるものと定義したための齟齬であった。
 その後これを様々に増補したものが流布する。

例: しむ とこ りふし かる かての木 草木をうへをく ことのゆ ゆく おぬれは つに よのま 他

 2.南北朝の1360年代に至って僧行阿が『仮名文字遣』を著した。これは定家の三類八字に「は、わ」「む、ふ、う」「ほ」を加えた五類十四字について使い分けを示したもので、追加した文字分については相当正確なものであったが、従来分については誤りを十分に正すことができなかった。また「お・を」の書き分け原理の問題も持ち越している。
 この行阿の仮名遣いは一般には「定家仮名遣い」として受け取られ、その後増補されつつ秘伝化して歌道などの世界では明治維新まで権威あるものと見なされることになる。しかし同時に、当時はアクセントが時代を経るに従って変化するものであることは知られていなかったので、現実のアクセントに合わない不合理な仮名遣いであると見なされることにもなった。


契沖仮名遣い

 万葉集研究者の僧契沖が奈良、平安の古典を調べて仮名遣いの整然としていることを知り、1695年に『和字正濫鈔』を出版して正しい(混乱以前の)綴りとその根拠を示した。後に続く国学者たちはさらに研究を深めてこれを増補するとともに、仮名の使い分けがそれぞれの語の元々の発音に基づくものであり、その後の混乱は発音の歴史的変化によるものであることなどをも正しくつきとめた。これらの研究は仮名遣いを単なる慣習としてではなく確たる根拠のあるものとして捉えたもので、過去の仮名遣い論とは一線を画し、以後の研究の範となったものであった。
 このようにして近代科学的裏打ちを与えられた仮名遣いシステムは後に歴史的仮名遣いと呼ばれた。

 この仮名遣いが「契沖」の名を冠しているからといって、これを彼個人の創意による新方式であるかのように受け取るのは誤りである。往々にして見られる「契沖が従来の仮名遣いを一新した」とか「契沖が新たに歴史的仮名遣いを規定した」あるいは「契沖が定めた」などという表現は誤解を広めている。
 契沖仮名遣いが行ったことは平安時代以降の個々の綴りの間違いや迷いの払拭であり、それ以上の変革を提示したわけではない。「これまで当てずっぽうで書いてきたところもあったが、調べてみたら元々はこうであった。」という内容のものである。当然従来の表記慣習の根本(文字とその発音の関係)になんらの変化を与えたものでもなかった。

注:
奈良時代に書かれた万葉仮名の文書では、後の仮名文字で書き分けられる以上の数の音を漢字で書き分けている。これは上代特殊仮名遣いと呼ばれるが、いわゆる仮名遣いとは異なる範疇のものであり、契沖はこれを取り上げているものではない。


定家仮名遣いと契沖仮名遣いの関係

 この二つは方式を異にするというほどのものではない。いずれも由緒ある仮名遣いを明らかにしようとしたものであるが、契沖仮名遣いは近代的な手法で定家仮名遣いの一部を訂正したのである。


歴史的仮名遣い

 契沖仮名遣いの別称とされることもあるが、狭義としては明治初年から概ね第二次大戦後まで流布した規範的仮名遣いを言う。契沖以後の研究成果を含み、また本居宣長による字音仮名遣いの範疇を含めて言うのがふつうである。原理と根拠が明白なので半自動的に公的に採用され、成文化・法定化されないまま推移した。
 明治から昭和前期までは単に「仮名遣い」といえばふつうはこれを指し、あえて「歴史的仮名遣い」という時には「契沖以来明らかにされてきた正しい仮名遣い」というニュアンスで使われた。
 ところが現代仮名遣いが制定されると、「歴史的仮名遣い」という用語に「現代仮名遣い以前の伝統的仮名遣い」という新たな意味での用法が付け加わった。平安から昭和前期まで行われた仮名遣い一般を、それらの持つ非現代仮名遣い的な共通特徴、すなわち「ゐ、ゑ」の使用や「ぢ、づ、を」の一般的使用、ハ行転呼・長音化転呼を当然の前提としていること、などを捉えて包括的に指すこととなったのである。「平安以降一貫して続いてきた表記慣習による書き方」という意味の、いわば広義の「歴史的仮名遣い」である。この意味では定家仮名遣いは歴史的仮名遣いである。


現代仮名遣い

 戦後、現代発音との一致を目指して歴史的仮名遣いを大幅に整理し成文化したもの。ただし音と文字の一対一対応は達成されていない。(参照
 現代の発音に従うとされているため古文を書き表すのに原理的な困難があり、その適用範囲は主として現代の口語文であると規定されている。

例えば「ながえほうとうちおろすを」「むげにこころにまかするなめり」「なぬかのせくのおろしなどを」「きたのさうじにかけがねもなかりけるを」(枕草子)などの太字部分は現代においてどう発音するか一つに決定することは困難である。これらに限らず古文というものがその現代における発音を一つに決められないという性質のものである以上、現代仮名遣いで書かれることは不適切である。

 現代仮名遣いは平安以降保たれてきた表記慣習の根本(文字とその発音の関係)を初めて人為的に変更した仮名遣い方式である。
 具体的には「転呼」、つまり語頭以外の「は、ひ、ふ、へ、ほ」を「ワ、イ、ウ、エ、オ」と発音することと「あう、かう、・・、いう、きう、・・、えう、けう、・・」類を「オー、コー、・・、ユー、キュー、・・、ヨー、キョー、・・」と発音することをやめ、また「ゐ、ゑ」を使用せず、「ぢ、づ、を」も一般的には使用しないこととした結果、表記の視覚的印象が従来とは大きく変わることとなった。

参考

仮名遣い 表記の根拠 適切に表記できる文
歴史的仮名遣い その語の当初の表記 平安以降のあらゆる日本語文
現代仮名遣い その語の現代発音 現代口語文


現代仮名遣い・歴史的仮名遣い・定家仮名遣い

 この三つを並列関係で見るのは誤りである。現代仮名遣いを一方に置いて見れば、歴史的仮名遣いと定家仮名遣いは元々の正しい書き方を求めようとしたという意味で一つのものである。江戸時代には歴史的仮名遣いと定家仮名遣いとが相並び立つと誤解されたこともあったが、実際は定家仮名遣いの方が至らないところが多かっただけのものである。

 

各仮名遣いの関係概念模式図
 各時代の枠内全体が「問題となる仮名を含む和語・準和語の集合」。濃色地(「共通部分」と記した)は歴史的仮名遣いに一致する部分。薄色・白色地は異なる部分。
 黒太枠は成文仮名遣い名。青枠はその仮名遣いが収録・規定している範囲。範囲・部分比は大まかなもの。

平安前期の表記 平安中期の表記 定家実践の表記 歌壇の表記 国学者の表記 一般教養人の実際 無学者の実態 明治〜昭和の規範 現代一般の表記

 ※1従来の伝統の枠内に収めたため現代発音に一致しない部分
  「おお、こお、そお・・・」と同じ発音の語を「おう、こう、そう・・・」と書く など。
 
※2従来の伝統をそのまま採用して現代発音を無視した部分
  「わ、え、お」と同じ発音の助詞を「は、へ、を」と書く など。


参考:歴史的仮名遣い普及・確立の契機 江戸時代の仮名遣い


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