仮名遣切替  

補講106教室

特別授業:古文の動詞を現代仮名遣ひに変へるときの問題について

古文を現代仮名遣ひで書き表すことは原則的にはありません。
学校教育における「歴史的仮名遣ひを現代仮名遣ひに変へよ」といふ問題の意義は、その文を現代の発音で読めるかどうかを試すことなのです。そしてその答へを便宜的に現代仮名遣ひと同じルールで書くことを求めてゐるのです。
古文を現代仮名遣ひで書き表すことが可能であると誤解しないことが大切です。

 古文の動詞を現代仮名遣ひに"変へて"みませう。

 例へば古文の「ねが(願)ふ」は現代では「ネゴー」と読んでも「ネガウ」と読んでもいいのです※1から、答へは2通りになります。漢字で書けばどちらも「願う」です。

「ネゴー」を現代仮名遣ひで書くと「ねごう」ですが、これは「ねごう」と書くのが正しいといふ動詞が存在することを意味しません。「ねごわない」、「ねごいます」などといふことはないからです。

 「願ひて」の音便形「ねがうて」は「ねごうて」とします。「ねがうて」はあくまで「ネゴーテ」と読み、「ネガウテ」とは読まないのですから。
 漢字で書けば「願うて」です。

歴史的仮名遣ひ 読み方 現代仮名遣ひ
ねがふ(終止・連体形) 願ふ、願ふがごとく ネゴーまたはネガウ ねごう、ねがう
ねがう〜(連用形の音便) 願うて、願う奉る ネゴー〜 ねごう〜

※1 古文・文語文の動詞を分かりやすく読むには参照

 参考


「酔ふ」について

 「ゑふ」は古語。「よふ」は後にできた新語。別の語として扱はなければなりません。

「ゑふ」は

歴史的仮名遣 ハ行転呼のみ 完全転呼した読み 完全転呼の現代仮名遣
       
ゑふ エウ ヨー よう
       
ゑひて エイテ エーテ(エイテ) えいて
ゑうて エウテ ヨーテ ようて

「よふ」は

歴史的仮名遣 ハ行転呼のみ 完全転呼した読み 完全転呼の現代仮名遣
       
よふ ヨウ ヨー よう
       
よひて ヨイテ ヨイテ よいて
ようて ヨウテ ヨーテ ようて

参考 参考


難しい問題について

 「憂ひて」の音便「憂うて」は次のやうに考へなければなりません。

歴史的仮名遣 ハ行転呼のみ 完全転呼した読み 現代仮名遣
うれうて ウレウテ ウリョーテ うりょうて

 しかし、「うりょうて」とはなんでせう。例へば学校のテストで果たして「うりょうて」といふ答を求めてよいのでせうか。どうも行き過ぎな感じがします。
 そこで長音化転呼しない発音を示す「うれうて」の方がふさはしいと考へることにすると今度は、他の動詞も見ると、

歴史的仮名遣 ハ行転呼のみ 完全転呼した読み 現代仮名遣
ねがうて ネガウテ ネゴーテ ×ねがうて
ながらうて ナガラウテ ナガローテ ×ながらうて
うれうて ウレウテ ウリョーテ ×うれうて

 といふことになりますが、ではこの現代仮名遣ひの「ねがうて」や「ながらうて」は一体何なのでせう。そんな語が存在するでせうか。
 結局正しい答はやはり「ねごうて」「ながろうて」「うりょうて」であるとせざるを得ないのですが、さあそれで「うりょうて」に納得がいくでせうか。

 「古文を現代仮名遣ひに変へなさい」といふ設問のしかたは、一応当り障りのない範囲では何といふこともないやうに見えても、少し突き詰めて考へてみると実は非常に難しい問題を孕んでゐるものなのです。教育的見地からはある一定の意味はあるでせうが、実は原理的な無理――現代仮名遣ひが対象とするのは専ら現代文のみであることを無視してゐる――を含んでゐるものなのです。


「出づ」について

 古文の「出づ」を現代仮名遣ひに変へなさいといふ問題の答へは当然「出ず」です。
 誤解を避けるためといつてこの語だけを例外的に「出づ」とするわけにはいきません。
 実際に出題はされないでせうが、このやうな設問を仮定してその矛盾に悩む先生がいらつしやるやうですが、これについては学校教育上の便宜上の話であつて、原理としては古文を現代仮名遣ひで書くことはできないのだとしつかり確認しておいて頂きたいものです。


お断り:
「現代仮名遣ひ」は現代の発音に従つて書くと規定されてゐるものです。古文の現代における読みがすべて一意的に決まるわけではない以上、古文を現代仮名遣ひに変へるための矛盾のない包括的方法を示すことは困難です。

仮名遣ひ 表記の根拠 適切に表記できる文
歴史的仮名遣ひ その語の当初の表記 平安以降のあらゆる日本語文
現代仮名遣ひ その語の現代発音 現代口語文

 漢文を書き下す際に歴史的仮名遣ひが求められるのもこの理由によります。漢文を現代においてどう発音して読むかは一意的に定まらないのです。



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